私たち、人のコミュニティは、学校、会社、運動サークルなど色々あります。
社会人になると、会社というコミュニティ内での時間が必然と多くなります。
そういった複数人が集まるコミュニティには、面白い人、真面目な人など、様々なキャラクターが存在します。
いつも楽しい話ばかりだったのなら、なんて素晴らしいことかと思うのですが、慣れ親しんでくると、人間の持つ嫉妬、妬みなどの暗黒面が出てくることがあります。
この暗黒面を持つ同士が顔を合わせると、噂話や、陰口という形に発展し、他人のことを、あーでもないこーでもないというように、だいたいが悪い話をするようになります。
みなさんのまわりでは、陰口を言っている人っていますでしょうか?
私のまわりには、陰口を言うことが大好きな人がいます。
きっと妬み、僻みをもっているからだと思います。
本記事では
- 陰口を言うことがある方
- 陰口がきらいな方
- 周りに陰口を言う人がいる方
に向けて、陰口についてお伝えします。
何かの参考になれば幸いです。
本記事を読み進めることで
- 陰口が気にならなくなる
- 陰口を言っている人を構わなくなる
- 陰口に関わらなくなる
ようになります。
しばらくの時間、お付き合いくださいませ。
はじめに結論から申し上げますと
- 陰口を言っていても何の得にもならない
- 陰口を言っている自分が惨めになる
- 陰口は言わない
- 自分の陰口は気にしない
ということです。
詳細は後述していきます。
私は、人の目を気にして生きてきた
私は、大昔から、人の目を気にして生きてきました。
今考えると、人の目を気にするようになったのは、思春期が始まった中学生の時からではないかと思います。
集団から孤立したくないという思いからなのでしょう。
仲間はずれになりたくないみたいな。
そんな調子で、社会に出てからも、人に嫌われないようにして生きてきました(わざと嫌われようとする人はいない)。
仲間意識を強く持っていたので、職場では、仲間が困っていたら、率先して手助けをしました。
仲間からの頼まれごとは、殆ど断りませんでした。
人のために思ってやることが良いと思ってきまし、やっていて気持ちの良いものでした。
そんな感じで、現在に至るまで、一生懸命してきたわけですが、その考えは少し間違っていたのかもしれません。
なんでもかんでもホイホイと動いたりするのは、職場の上司からは、良いように使われました。
物事がうまく運ばないときには、その上司からは、辛く当たられていたものです。
何でも言うことを聞いてしまうと、安く見られるようになり、八つ当たりされる存在になってしまいます。
とても変な話なのですが、私の過去の上司は、そのような奴隷を扱うような接し方をしていました。
人のために、一生懸命にやっても、軽く見られるというか、当たり前の存在になり、自分という価値が薄くなってしまうのです。
周りの人に近寄りすぎていたのです。
良い距離感が必要だったのでしょうね。
人の役にたち、いい人になり、みんなから自分のことを良く見てもらいたいという考えは間違いでした。
本当に気を許せる人以外とは、近寄りすぎてはいけませんね!
距離感は大切!
関連記事:弱気でノー(No)と言えない自分の性格を直したい【日本人だから仕方ないのか?】
嫌われるのが怖い
自分で言うのもなんですが、人の良い私は、いい人でありたいし、人に嫌われることが怖かったのです。
人に嫌われたくないというのは、多くの人が持っている願望だと思います。
そして私は、過去に長期に渡り劣等感を抱いていたから、なおさらです。
嫌われないように一生懸命頑張っていたわけですが、陰口が気になったり、何気ない態度を気にしたり、常に周りの人の目が気になりました。
それでも、嫌われないようにしているせいか、私のまわりにはいい人も多くいて、それはそれで良かったと思います。
性格がいい人に囲まれると、楽しいし、幸せです。
サラリーマン人生の大部分は、いい人が多い職場で過ごすことができました。
転勤で異動した先では、心無い人が目立ち、私の心を曇られました…
関連記事:いい人でいると、パワハラ上司から付け込まれるが、優しさは手放してはいけない
陰口は気にしない
人に嫌われたくないと強く願う私は、場の空気に敏感で、少しでも悪くなると、変に気を使い、無理やり話題をふったりして、場を盛り上げようとしてしまいます。
場の空気が凍りつくのが本当に嫌いです。
私は、何かの行動を起こすときは、行動することで、「何か言われたらイヤだな」とすぐに弱気なことを考えてしまいます。
人に何かを言われるのが昔から怖いのです。
そんな弱気な私も長年、いろいろなことを経験して、強くなったのでしょう。
最近では、陰口などは、かなり気にしなくなりました。
何かにつけ、色々と言われ続けたら、慣れてくるのでしょう。
ただただ、陰口は気にしても仕方ないし、どんなにいい人でいても、陰口を言われるのは当たり前なと考えるようになりました。
だんだんと気にしていても仕方がないと思うようになったのです。
陰口を気にしなくなると
- 気疲れしない
- 自分の課題に集中
- 完璧を求めない
- 自分の人生を歩む
になります。
自分の事を言われているかもと考えると、おどおどしていたのが、「俺のこと何か言っているわ、何も考えもしないで!」くらいに若干強気に思えるようになりました。
気疲れしない
陰口を言われたくないからといって、相手に合わせ、言いたくもない陰口に自分が参加することがありました。
ほんと、気持ちの小さな私が情けないです。
それに参加してしまうと、自分も感情的になってしまって、ムダに疲れます。
ムダな感情は出すものではありません。
関連記事:他人を悪くを言う行為は、自分のストレスになるー非生産的で愚かな行為だったんだ!
自分の課題に集中
陰口に引きずり込まれないように、自分の課題に集中します。
違った言い方をすると、「陰口に参加しようよ」という空気になっても、聞こえないふりをして、自分の仕事にまっしぐらな姿勢を見せます。
そうすることで、自分の課題が進むし、生産性のないことから逃れることが出来ます。
ほんと、陰口や噂話は、生産性がなくて、暇な人達がする残念な行為だと思います。
人には、嫉妬や妬みという負の感情という暗黒面があるので、思考力や認知能力に乏しい人が自分の感情をコントロールできなくなり、生産性のない行動にでるのです。
関連記事:感情をコントロールできないのは、脳(前頭前皮質)が機能していないから!
完璧を求めない
今までは、人に嫌われないように、人からの期待に対して、完璧を求めてやっていました。
そうすると、自分が消耗してしまっていたので、やめることにしました。
自分のスタンスで、過度に相手に気を使うことはせず、自然体で対応することにしました。
自分の人生を歩む
嫌われないように、気を使って生きていることは、他人の人生を生きていることになります。
もっと、自分のペースで行動しすることで、自分の人生を歩むことが大切だと感じています。
自分は自分、他人は他人なのだから
気にしなくなったのは自信を持てたから?
過去の自分は、自信がなく、他人から見て弱々しかったと思います。
そのことがパワハラを受けることになった一つの理由となり、つらい思いを経験したのだと思います。
しかし、現在は、自分に自信を持てています。
- 瞑想の効果?
- 落ち着いていられる
- 不安を抱くことは無駄とわかった
- 自分で決めた習慣を続けられているから?
- 自由にさせてもらっているから?
- 読書など
などが理由かなぁと思っています。
感情コントロールもいささかできるようになりました。
陰口はあたりまえ
組織の中で、全員の意見が同じということは、決してありません。
そんな中で、仕事をしていると、反対意見の人たちが、陰口を言うのは当たり前と考えるべきですし、実際にあります。
なので、自分が正しいと思える行動をしても、違う考えをする人もいるわけなので、私に対して、陰口を言うことは、大いに有り得ると理解できるようになりました。
なので、自分も律してゆかなければと思っています。
- ずるいことはしない
- 正しいと思うことは行動する
- 人に悪く言われても、それは真実ではない
ということを、心に留めて自身を持って行動します。
ブレずに行動する!
まとめ:陰口を気にしていたら、自分らしくなくなってしまう!
私は、過去の弱々しく、人に嫌われるのを恐れていた自分を捨て、堂々を自分の人生を生きることを決めました。
人のことを気にしすぎて、陰口を言われるのを恐れることは、ムダだとわかりました。
そして、陰口はクソですし、とても愚かな行為です。
何も改善するわけでもないのです。
私が、陰口を気にしなくなるまでには、随分時間を要しました。
まぁ、気が付かなかっただけですけど…
ムダで、非効率なことは自分から排除していこうと思います。
たとえ、周りの人たちと考えや行動が違っていても、合わせることはしません。
押し通すというわけでもありませんが、自分を捨てずにいるだけです。
自身を持って、自分の人生を生きましょう!
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