幼い頃、好奇心からでた行動をした結果、モノを破壊したり、他人様に迷惑をかけることがあり、大人から「ちょっと考えたらこうなるって判るでしょ!」と怒られたものです。
そういう経験から学び、さらには学校教育や社会に出てからの会社内で頭をつかうことが多くなりました。
そして、現在に至っては、ぼーっとすることよりもはるかに多く、何かしらを思考しているのではないでしょうか?
その思考が楽しいものであればいいのですが、その多くは将来への不安からくる苦しいものとなるのでしょうね。
さて、今回は、わたしたちを苦しめる思考について考えて聞きたいとおもいます。
思考過多による苦しみ
現代に生きるわたしたちは、起きている間中思考しています。
常に頭の中で何かをしゃべっているのです。
「なんだか体が重いから動きたくないよなぁ…」
「自分って、あまり幸せじゃないよなぁ…」
みたいに、ネガティブなことが多く、考えれば考えるほどつらい思いをする羽目になります。
自分を変えたくて、新たなことにチャレンジしようとしたりしても、
「こうなったらどうしよう…」
というように、不安になり、心配の種をたくさん見つけてしまうのですから、困ったものです。
何かあるたびに、思考してしまうので仕方ないのですが、ネガティブなことを少しでもいいので、ポジティブ方向へ向けられるようになれば、行動するときの心の障害が低くなります。
思考のクセ
わたしたちは、常にリスクヘッジを考えるようになっています。
「もし、〇〇になったら…」
とういうように、何かあるたびにほとんど起こることのない未来のことを思考し、心配しているのですね。
トラブルに対し対策を用意しておかないと不安なのです。
「どうにかなるさ!」的な出たとこ勝負なんて、ありえないのです。
しかし、出たとこ勝負的な思考ができるようになると、かなり楽になります。
リスクヘッジで疲弊するよりも、いいかもしれませんね。
完璧なリスクヘッジから、何かあればその時考えればいい的に少し楽天的な思考でBプランを考えるものいいです。
完璧主義を脱却して、少し能天気な思考にしてしまいます。
心配事の94%は起きないと言われているので、このことからも、考えすぎによる疲弊は割に合わないのです。
更にいうと、何が起きても、そのエピソードを楽しんでしまえばいいって話です。
後の笑い話にもなりますし…
思考を変える方法
さあ、思考を変えれば楽になるのは間違いないところですが、すぐにできればだれも苦労しませんね。
現在のわたしは、能天気な思考を以前よりもできるようになりましたが、これには時間を要しました。
どうやったかというと、
ズバリ、朝の瞑想です。
瞑想していると、緊張思考が弱まり、広く俯瞰的なリラックスした思考になります。
おそらく、脳波や脳内伝達物質が普段と別のモノが出ている感じがするのです。
カリカリした左脳から落ち着きのある右脳へ思考がシフトし、楽観的になったり、気付きがあったりもします。
5年以上もやっているせいか、物事の捉え方も変わってきています。
一見、ネガティブな出来事も将来への伏線だと考えることができるので、過剰に落ち込むこともなくなりました。
その他、「みんな同じ」というようにも考えることもできるようになりました。
どんな人も、何かしら悩みや満足行かないことがあるし、順風満帆なわけじゃない。
そういうものだよなぁ…って。
それと、なにかにつけ感謝できるようにもなりますね。
まぁ、思考を変えるには、瞑想をおすすめしますね。
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不安や心配事があったっていいんじゃない?!
実を言うと、わたしは昔から不安に陥りやすく、それらのネガティブな感情を払拭スべく、睡眠や食事に気を使い、瞑想や運動も取り入れてきました。
そうしていると、完全ではないものの、不安は薄らいで楽な気持ちになります。
しかし、稀に目覚めてすぐに、強い不安が襲ってくることがあるのですね。
目覚めた時点っていうのは、頭がはたらいていないので、本能的な負の感情が最前線に陣取っているのではないかと考えております。
そういったことを長年にわたり繰り返していることについて、現代会での結論というか、考え方をするようになりました。
それは、
- その不安感はただの幻想にすぎない
- 不安を感じやすいのは、個性なんだから仕方ない
- 不安を感じたっていいじゃないかという開き直り
その不安感はただの幻想にすぎない
これまで、何度も何度も、不安に襲われて、思考がしっかりしたら落ち着くというのを繰り返してきました。
毎回、疲弊しているのに疲れたというか、慣れたというのか…
毎度おなじみの不安感でございますってか(笑)
朝に不安感があっても、時間とともに薄らいでいくのだから、一喜一憂しなくていいんだなぁと思うようになりました。
もう、朝の不安と付き合うのはや~めた‼️
不安を感じやすいのは、個性なんだから仕方ない
知人に、あまり感じない方がいます。
その方の行動力は、凄まじいものがあり、考えたと思ったらやってみるって感じです。
その方との会話の中で、「不安ってあまり感じないんですよね」と言っていたのですから、驚きです。
そこで、わたしの推論です。
ひとはそれぞれ個性というものがあり(良い悪い関係なく)、不安を感じやすく心配性というのも一つの個性ではないのか?と。
不安を感じやすいから、他人の気持ちがわかったり、気配り上手なのかもしれません。
自分の中で、不安になりやすいなぁ…とウジウジ考え続けるよりも、これは個性なんだからと考えた方がスッキリするといった感じになります。
不安を感じたっていいじゃないかという開き直り
よく、不安を感じたら払拭しようとして、かえってネガティブ感情が増強してしまったということがあると思います。
実はこれって逆効果なんですよね‼️
できるだけ気にしないようにして、不安がいなくなるまで待ち続けるしかないのですね。
これまで、不安は自分にとって悪いものと思ってきたのですが、それだとなんだか苦しいというか、心地よくない状態でした。
不安を悪いものという捉え方そのものを変えてしまったらどうなるんだろう…と。
だって、自分は不安を感じやすい個性なんだから。
不安があってもいいよね‼️
不安って、実は悪いものではないし、不安とともにしばらく過ごすんだ。
こうやって開き直った方が、気持ちが軽くなるんじゃないかな?
不安は自分の個性だよ‼️

