私たち人間の致死率は100%です。
そんなことわかっているはずなのに、なんとなく自分は死なないんじゃないかという感覚になっている。
普段の生活の中で死に対して背を向けた状態でいるわけであります。
その状態で私は半世紀以上生きてきたわけですが、人生の転換点が訪れたときに死について考えるようになったのです。
Apple創業者の故スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で行ったスピーチが印象てきでした。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。 自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。
死に正対して生きることの大切さが伝わってきます。
その他、様々な著書などからも、死を意識することの大切さを教えられるのです。
このことから、自分の死は必ずやってくる、そのときに楽しかった人生だと思えるようでありたいと考えるようになりました。
死を恐れないほうがいい
これまでの私のように死に体して背を向けた状態で生活していると、過剰に死を恐れるようになります。
テレビなどのメティアなどから、入ってくる情報も死に対してネガティブな印象を与えられるのです。
そうやって、私たちは死を過剰に恐れるようになります。
死に対して恐れを抱いてしまうと、何も行動できずに、身構えてしまいます。
それと、不安に陥りやすくなります。
さらに、体の調子がいつもと違うとすぐに病院へ駆け込んだりもします。
人間には自然治癒能力が備わっているのに、風邪をひいただけで、病院のお世話になるのが当たり前を考えるようになるのです。
病院とは適切にお付き合いするのがいいですよね。
人間は必ず死を迎えるのだから、なにか起きても仕方ないよねぇ…と構えておくのがいいでしょう。
そうすれば、自然と行動的になりますし、自分はもちろんのこと、家族の命に対しても執着しなくなります。
大切な人の死は辛いです。
だけど、誰にも死は必ずおとずれるもので、例外はないのです。
それなのに、それを受け入れられず、「あのとき病院に連れていけばよかった…」などの後悔をしても、無駄に苦しむだけ。
それよりも、各個人が精一杯生きることを目指すことです。
そういった目線から行動を考えると、「元気なうちにやってしまおう!」という発想になります。
死生観を整えて充実した毎日を過ごす
人は必ず死ぬのだから、人生を楽しんだ方がいいです。
これまでの私は、時間は無限にあると思っていたので、暇つぶしすることを考えていました。
だから、夜はお酒を飲んでいました。
お酒を飲むと楽しくなるのと同時に、暇な時間を潰すことができるのです。
人生の転換期に自分の死を意識するようになってから、お酒を飲んで寝るだけの生活が心地よいのもではなくなりました。
仕事を終えて、夜の数時間、もっと有意義に使いたいと考えるようになっていきました。
このとき丁度、仕事の人間関係でも悩むようになっていて、サラリーマン以外で生きる方法を見つけようともしていたのです。
そして、夜の時間は、読書をするようになり、今では、ちょっとした仕事というか、作業をして、スッキリして一日を終えることに快感を覚えるようになりました。
それが遊びなのか仕事なのかわかりませんが、とにかく無駄な時間を過ごさないようになっています。
だからといって、せかせかしているわけではありません。
時間に対して、ゆったりとした心で対峙しています。
「時間がない…」と考えることはやらなくなりました。
これも、死生観を整えているからなのだと思います。
「今日も充実した一日を過ごすことができました、ありがとうございます」と寝る前に心の中で呟いています。
誰に向けてというわけではありませんがね(自分に向けてかな…)。
本日の心の動向
今日も、朝に走ることができて、スッキリして一日がスタートしています。
少し寝不足気味だったので、思考力はポンコツでも仕方ないと考えました。
今日は、作業をしようと考えていたのですが、やる気がなかったので、午後に先延ばしすることにしました。
先延ばししても、自分との約束なのだから、13時少し前から作業開始です。
作業量が多かったので、4時間くらいかかりました。
作業の途中で、思ったより進まないなぁとかんじましたが、心を乱すことなく、一つずつこなそうと考えながら行ったのです。
そして夕食後、予定していませんでしたが、別の作業をやりたくなったので、数時間パソコンとにらめっこしました。
おもしろい動画もないので、だったら作業するほうがいいなぁと思ったのですね。
作業自体は地道なので、楽しくは感じませんが、辛くもないんですよね。
作業している方が、心地いいというか、落ち着くというか、新たな発見をしたいのかもしれません。
「しなければならない」という感覚は一切なくて、「やってもいいかな?」な感じです。
仕事って自分の意志で行えば、精神的には苦しくないのですよね。