変化のない毎日の繰り返しで一生が終わる!
変化のない毎日でつまらないと考えている人はいるでしょう。
なにかいいことないかなぁ…といい出来事が起きることを期待していても、ほとんど待ちぼうけで終わってしまうのがおちです。
それで一日が終わり、翌日も、そのまた翌日も変わらない毎日を過ごします。
考えたこともないでしょうが、そうやって一生が終わるのです。
今回は、一生は早いよというお話です。
時間に執着しないで、自分なりに無理なく充実させることがよろしいことかと思います。
毎日、テレビやエンタメ系の動画を観て時間を潰している方向けです。
何か参考になれば嬉しいです。
人生は同じ日々の繰り返し
私たちの一生は、長いようで短いのだと思います。
今の平均寿命から計算すると、
- 人の人生は4200週間
- 1年間は365日で52週間
- ざっくり計算すると10年は500週間
- アラフィフの私に残された時間は、あと1500週間くらいかな?
です。
上記のように考えてみると、人の一生って、意外に短いように感じます。
なんとなく生きていると、時間は無限だと間違った捉え方をしてしまいます。
無限に時間があると思うと、何もしない暇な時間がむだに流れることが多くなります。
仕事で頭を使いすぎているので、仕事以外の時間は、学ぶことはしません。
ほとんどの夜は、ビールを片手にテレビを観て終わります。
こうして、お盆と正月が繰り返され、気がつけば初老の年代になっているのです。
その頃には、からだの様々な部位にガタがきて、病院通いです。
なんとか定年を迎えても、経済的に安泰にはならず、身体にムチを打って、これまでと全く違う薄給で働かなけれは生活できません。
私たちが若い頃、薄給でも頑張ってこられたのは、定年(当時60歳)まで頑張れば、素晴らしい老後の自由な生活が待っていると期待していたからです。
しかし、現代は少子高齢化で、年金などの社会保障が徐々に改悪され続けています。
「きっと国がなんとかしてくれる」や「まわりのみんなも同じだから、きっと大丈夫!」という、頭の中がお花畑ではダメでしょう。
事実と可能性を受け入れ、これからの一日の過ごし方を見直す必要が出てくるのではないでしょうか。
スペシャルじゃなくてもいいから充実させたい
私は、アラフィフになってから、上司からのパワハラを経験しました。
はじめのうちは我慢していたのですが、それが続くとストレスが過剰となって、メンタルを壊しそうになったのです。
このとき初めて、この仕事は続けられないと考えるようになりました。
そのことがきっかけとなって、ダラダラ無駄にしていた時間を有意義に使おうと考えたのです。
まず、仕事が終わって、帰宅後の夜の時間を変えました。
ビールとテレビで消費していた時間を、読書とネットで情報収集に当てました。
壊れかけたメンタルを守るために、認知行動療法の本で学んだり、ネットで心理学も学びました。
その他、体も大切な資本の一つなので、健康維持のための情報を取り入れて、運動を習慣化しました。
それらを毎日続けています。
地味な日々ですが、充実しているのです。
さらに、仕事を辞めてからは、ストレスを受けなくなったおかげで、以前にはなかった幸福感を得ることができました。
それでも、少しは将来に対する不安があります。
多少の不安があったとしても、不安があるから気づくことができることもあるので、悩むことなく前向きに受け入れています。
今後は、自分の仕事で生活ができたらいいなぁと考えています。
その方法は色々あって、インターネットで検索すると、学ぶことができます。
簡単ではないのかもしれませんが、なにかのきっかけになるかもしれませんし、行動しなければ、なにも変わりません。
私がこういった考えになったのは、この著書を読んだからだと思います。
キャロル・S・ドゥエック著:「マインドセット「やればできる! 」の研究」です。
アラフィフの自分でも、変化することができるんだと考えることで、変化が可能になるのです。
決して魔法ではありませんが、「どうせうまくいくはずなんてない」という、硬直思考にならない中年男でありたいと考えます。
無職で貯金を切り崩しながらの生活になったとしても、自分のビジネスを小さくても始めていくことで、高齢になってからの収入源が確保できます。
それこそ、困窮する年金暮らしのリスクを回避することができるのです。
キラキラしたスペシャルな暮らしじゃなくても、地味でもいいので、自分のやりたいことをやって、充実した毎日を送ることが自分にとっても幸せな人生だと思うのです。
まとめ:地味な日々の繰り返しで一生は終わるのだから、できるだけ充実させたい
- 人の人生は4200週間
- 1年間は365日で52週間
- ざっくり計算すると10年は500週間
- アラフィフの私に残された時間は、あと1500週間くらいかな?
です。
私たちが若い頃、薄給でも頑張ってこられたのは、定年(当時60歳)まで頑張れば、素晴らしい老後の自由な生活が待っていると期待していたからです。
しかし、現代は少子高齢化で、年金などの社会保障が徐々に改悪され続けています。
「きっと国がなんとかしてくれる」や「まわりのみんなも同じだから、きっと大丈夫!」のように片間の中がお花畑ではダメでしょう。
事実と可能性を受け入れ、これからの一日の過ごし方を見直す必要が出てくるのではないでしょうか。
キャロル・S・ドゥエック著:「マインドセット「やればできる! 」の研究」
アラフィフの自分でも、変化することができるんだと考えることで、変化が可能になるのです。
決して魔法ではありませんが、「どうせうまくいくはずなんてない」という、硬直思考にならない中年男でありたいと考えます。
キラキラしたスペシャルな暮らしじゃなくても、地味でもいいので、自分のやりたいことをやって、充実した毎日を送ることが自分にとっても幸せな人生だと思うのです。
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