仕事を辞めて気づいたことが大きすぎる!
現在、我が家はアラフィフ夫婦だけの自由な生活です。
あるとき、私が妻に質問してみました。
なんとも、いい妻であります(笑)
今回は、正社員の収入を捨てることについてのお話です。
収入があっても、心が奴隷状態だったら、自由になることが幸せに感じます。
仕事が辛くて苦しんでいる方向けです。
何かの参考になれば嬉しいです。
年収ウン百万を捨てたことはムダではなかった
私は、人間関係に悩み、苦しんだ後に仕事を辞めました。
30年以上頑張ってきて、定年まで耐えるつもりでしたが、ダメでしたね。
あまりの苦しさに、精神状態がおかしくなりかけていましたから。
辞めるにあたって、やはりお金の心配が大きかったです。
それでも、お金のことを心配している場合ではなく、私が壊れたらそれこそ人生レベルで手に負えなくなると考えました。
ビビリの私が人生で最大の勇気を振り絞って、退職を決意したのです。
結局、イヤな仕事(人間関係)を辞めて感じたのは、ストレスがなくなり、自由な時間が増えることだけではなく、穏やかな心で生活できる幸せを手に入れたことがもっとも大きなことでした。
私が仕事のストレスがなくなったことで、攻撃性がなくなったのです。
攻撃性がなくなると、寛容さが増し、それぞれの家族の考えることを受け入れることができるようになります。
そうなることで、家族みんながいつも笑っている状態になるのです。
妻は言います…
私が仕事で我慢しながら頑張っていた頃、そのストレスを家まで持って帰宅していました。
そのストレスは、家族への攻撃に向けられるのです。
酷い父親だと思うかもしれませんが、仕事で受けた攻撃は、大切な家族へ向けられることが科学的に証明されています。
なので、多くのお父さんや仕事をしているお母さんは経験しているはずです。
会社の権力者が部下に対して攻撃をし、その部下が家族に攻撃をするのです。
要するに、力が上の人間が下の人間へ攻撃が連鎖する構図になります。
今考えると、仕事をして収入を得ていましたが、多くの不幸を作っていたのだと思います。
会社からの収入はなくなりましたが、今はとっても幸せです。
心が穏やかで、これが普通の人間の暮らしなんだと感じています。
心にダメージがなければ、これまで他人に対して抱いていたネガティブな感情というものなんて、全くない状態です。
- 車で割り込んで来られても、「仕方ないよねぇ…」
- 期待通りにならなかったりしても「仕方ないよねぇ…」
と思えるようになりました。
だって、仕方ないんだもの。
そこから何ができるのかを考えることの方が重要なのです。
因みに、私の家族は私たち夫婦の他に数人の子どもが社会人だったり、大学生、高校生をしていて、各自で暮らしています。
その子たちが、帰省したときに、部屋が笑いが多い楽しい空間になるのです。
穏やかに暮らす幸せ
仕事を辞めて、心穏やかに生活をしていると、色々なことを思考します。
昔は、考えることといえば、悩むことが多かったのですが、それが亡くなった今では、自分に染み付いている常識や価値観についてよく考えています。
これまでの私は、堅実主義で世間で言われているように、先が見えない事に対して、全く信用をしていませんでした。
不確実性を嫌っていたので、リスクを取れない人間だったのです。
将来のために貯金しなければと考えていましたから、ボーナスのときにできるだけ貯蓄できるように、あまり気を緩めることはしませんでした。
そんな私が、今では多少のリスクを取ることのほうが大切だと考えるようになっています。
特に、お金への執着というか、マインドブロックが外れて、「なんとかなるさ!」的な考えを持つようになったのです。
「どうしよう」と不安になるより、「大丈夫、なにかあったら、そのときに考えよう」と楽観的になりました。
不安になることが損なのです。
不安は自分のポテンシャルを下げてしまいます。
できることをやるだけやって、あとは仕方ないことなのです。
自分が好きなように生きてみようと思っています。
これまで、長い期間で地味ついた常識や価値観を疑ってみたり、色々な角度から見つめ直してみると、かなり面白いです。
一見、悪いことのように思えることでも、結果的に良いようになっていたりします。
意中の異性に振られたことで、今の人と巡り会えたということは多くあります。
そのように考えると、悲劇がなくなります。
これは、この先につながっているんだと考えることで、絶望を感じなくても良いのです。
お金についても、心配してやりたくない仕事に手を出してしまうことは避けるべきと考えています。
今は見えていないけど、縁があればつながるはずと思っています。
先のことを考えすぎても仕方ないですから、楽しむことだけを考えています。
楽しむといっても、豪遊するとかではありません。
質素な生活をしていても楽しいのです。
運動、読書、最近は簡単な料理も楽しくなってきました。
インターネットでレシピを調べ、少しだけ手を加えるだけで、美味しい夕食ができるのです。
それを妻が喜んで食べてくれる。
とっても幸せです。
料理もただ作るのではなくて、喜んでくれるかな?と考えながらやると、楽しくなります。
生活の中に、ひとつひとつ楽しめることがあって、このことに気づいて行動すると、いいですよね〜…
「なんとかなるさ!」と楽観的に考えて楽しく生活していこうと思っています。
違う価値観を探して参ります。
まとめ:年収ウン百万を捨てたことはムダではなかったー穏やかに暮らす幸せ
ビビリの私が人生で最大の勇気を振り絞って、退職を決意したのです。
結局、イヤな仕事(人間関係)を辞めて感じたのは、ストレスがなくなり、自由な時間が増えることだけではなく、穏やかな心で生活できる幸せを手に入れたことがもっとも大きなことでした。
私が仕事のストレスがなくなったことで、攻撃性がなくなったのです。
攻撃性がなくなると、寛容さが増し、それぞれの家族の考えることを受け入れることができるようになります。
そうなることで、家族みんながいつも笑っている状態になるのです。
会社からの収入はなくなりましたが、今はとっても幸せです。
心が穏やかで、これが普通の人間の暮らしなんだと感じています。
心にダメージがなければ、これまで他人に対して抱いていたネガティブな感情というものなんて、全くない状態です。
- 車で割り込んで来られても、「仕方ないよねぇ…」
- 期待通りにならなかったりしても「仕方ないよねぇ…」
と思えるようになりました。
だって、仕方ないんだもの。
そこから何ができるのかを考えることの方が重要なのです。
仕事を辞めて、心穏やかに生活をしていると、色々なことを思考します。
昔は、考えることといえば、悩むことが多かったのですが、それが亡くなった今では、自分に染み付いている常識や価値観についてよく考えています。
これまでの私は、堅実主義で世間で言われているように、先が見えない事に対して、全く信用をしていませんでした。
先のことを考えすぎても仕方ないですから、楽しむことだけを考えています。
楽しむといっても、豪遊するとかではありません。
質素な生活をしていても楽しいのです。
運動、読書、最近は簡単な料理も楽しくなってきました。
インターネットでレシピを調べ、少しだけ手を加えるだけで、美味しい夕食ができるのです。
それを妻が喜んで食べてくれる。
とっても幸せです。
生活の中に、ひとつひとつ楽しめることがあって、このことに気づいて行動すると、いいですよね〜…
「なんとかなるさ!」と楽観的に考えて楽しく生活していこうと思っています。
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