意義を感じることが心地いい!
映画を観ることは好きでしょうか?
私は、幼少期はドラえもんなどのアニメ映画や、ジャッキーチェンのカンフーアクションに魅了されました。
中学生になると、バック・トゥ・ザ・フューチャーのような洋画が楽しく感じていました。
特に、単純明快でハッピーエンドものに快感を覚えました。
ハリウッドから「面白いストーリー」と「ハッピーエンド」そして「美しい俳優」などがそろった映画がたくさん日本に配給されました。
それら数多くの映画のおかげで、私は日常を忘れ、大いに楽しむことができました。
それが最近になって、どうも勝手が違ってきているのです。
どうやら、単純明快な映画よりも、心にジーンと訴えてくるシリアスな映画を好むようになりました。
ヴィクトールフランクル著「夜と霧」を読んでから、ホロコーストに衝撃を受け、第二次世界大戦を背景とした映画に感動を覚えるようになったのです。
例えば、「戦場のピアニスト」、「シンドラーのリスト」などをです。
これらの映画をアマゾンプライムで観終わり、心がジーンとする感覚と、自分の中で何かが起きた感覚がありました。
今回は、このジーンとする感覚と何かが起きたことについてお伝えいたします。
本記事を読み進めていただき、何かのお役に立てれば嬉しく思います。
「楽しい」と「意義」を感じる
私がシリアスな映画を好むようになった理由は、ある著書に記されたことがヒントになりました。
「楽しいこと」と「有意義なこと」、どちらが大切?という文面です。
例えば、大好きなチョコレートを食べることは、「楽しい」と感じますが、「有意義」だとは思いません。
次に、高齢の女性が道路をわたる手助けをすることは、「有意義」だと感じます。
「楽しいこと」と「有意義」はどちらがいいのでしょうか?
それは、両方を交互に感じることが幸福度につながるのです。
快楽主義
このことについて、紀元前五世紀にキリシアの思想家が、
「よりよい人生の条件とはできるだけ多くの直接的な楽しみを持つこと」という「快楽主義」(楽しいこと)を主張しました。
これを「ヘドニズム」といい、
ヘドニズム
- 喜びや楽しみ
- 亭楽(きょうらく) ー 思いのままに快楽を味わうこと
- 性的欲求
に由来している
しかし、ほとんどの哲学者たちは、
「直接的な楽しみは低俗で、退廃的(たいはいてき)で、動物じみている」と批判し、
退廃的とは
道徳的にくずれて不健全なさま
出典:goo辞書
「良い人生にはもっと高尚(こうしょう)な喜びが必要」と考えました。
高尚とは
学問・技芸・言行などの程度が高く上品なこと。けだかくてりっぱなこと。
また、そのさま。出典:goo辞書
幸福主義
この高尚(こうしょう)な喜びを求める思想を幸福主義(エウダイアモニア)とよばれました。
人間に必要なのは、「美徳」だとしたのです。
ようするに、
「尊敬に値することが良い人生」ということです。
「美徳」の中でも、プラトンやアリストテレスの主張は
プラトン、アリストテレスの美徳とは
- 勇敢さ
- 強靭な精神
- 公正さ
- 懸命さ
でした。
結局のところ、幸せとは
- ひとさまに迷惑をかけずに楽しいことをする
- 立派に生きる
ということです。
つまり、
自尊心を高める行動をしながら、時には楽しみましょうってことですな!
過去の私は、単純明快な楽しい映画に快楽を感じていて、
現在の私は、シリアスな映画に意義(幸福)を感じていたわけなのです。
ホロコーストの道理に反することが刺激となり、私の心の中で美徳心が起きたのでしょう。
ホロコースト
1933年から45年までのナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺をさす。
600万人が殺されたといわれる。
1933年にナチス党がドイツの政権を握ると、非アーリア人の定義を行い、ユダヤ人は生活のあらゆる面で差別を受けた。引用:コトバンク
利己主義から利他主義へ
私は、映画の嗜好がなぜ変化してしまったのか、答えを求めていました。
その答えは、私がよく視聴するYouTube動画にありました。
アバタローさんの本要約動画です。
カール・ヒルティーの著書「幸福論」にありました。
カール・ヒルティ(Carl Hilty、1833年2月28日 – 1909年10月12日)は、スイスの下院議員を務め、法学者、哲学者、著名な文筆家としても知られる。日本では『幸福論』、『眠られぬ夜のために』の著者として有名。
敬虔なキリスト教徒として、神、人間、生、死、愛などの主題を用いて、現代の預言者とも評されるほどの思想書を書き残した。また、そのようなテーマに深く踏み込んでいながらも、彼の著作には、非現実的な、空想的要素は含まれないという特徴がある。
カール・ヒルティーによると、人は人生のステージ毎に成長し、変化していくのが自然といいます。
流れはこんな感じです。
- 若い頃は利己的
- 成長し、利他的に変化する
若いときは利己的になります。
これは仕方のないことなのです。
人間が成長し、一生懸命実を結ぼうとしている証拠であり、
ごく自然なこと。
そのうち、自分中心に生きているのが嫌になるのです。
世のため人のために生きていきたくなり、
新たな本能が芽生えます。
私たちは、ただそれに従って生きていけばいいのです。
そう、自然に従って生きるのです。
まとめ
今回は、私の映画の好みが変化したことから、人が幸せを感じる要因を探ってみました。
人は楽しいと感じることと、道理に沿うことをすることで、幸福感を得られるのです。
だらけ過ぎも厳しすぎもだめなのです。
自分勝手に生きていた若者が成長すると、他人のために何かをやってみようと考えるのは、ごく自然なことだったのです。
自己中心的に生きることが嫌になるのですから。
なんとも不思議に思えます。
多くの大人が利他的な行動をとるのは、人として成長していることだったのです。
楽しいことをしながら、美徳を追求して、自然に幸福に生きたいと考えています。
人生は一度きりです。
他人の人生ではなく、自分の人生を自分の足で歩んでいきましょう!
関連記事です。