生きてさえいればそれでいい❗
多くの人が長い人生の中で苦しい時期を経験したはずです。
その時に、不安や恐怖に怯えながら、色々なことを考えたのではないでしょうか?
自分にとって、衝撃が大きいだけに、考えるほどに視野が狭窄していきます。
出口の見えない苦しさに、思考もネガティブな方へ傾いてくのです。
気持ちが落ちていくと、自分が存在する価値を低く見積もってしまったり、無価値に感じ、自信の喪失とともに、気力がなくなっていくのでしょう。
数年前にそういう状況であった私なのですが、現在は楽しく生きることができるようになりました。
結局、しっかり状況を把握することと、前向きな思考をすることで、”生きてさえいればなんとかなる”と思えるようになります。
消えてしまいたいと思っても、今一度思い返し、無理しないで、自分のできることに取り組むことで、これまで見えなかったことが見えるようになるのです。
ここに、私の経験を紹介しますので、何かの参考になれば嬉しいです。
当たり前に笑えるようになった
私のメンタルが異常を来したのは(自己判断)、今から6年前で、赴任先の上司からのパワハラがきっかけです。
毎日のように、恫喝され続け、これまで評価されてきた仕事に自信を失い、さらに自分はできない人間と思うようになりました。
職場から帰宅した後も、仕事の進め方や上司の威圧によるショックを繰り返し頭の中で考え続けるようになったのです。
そうしていくうちに、楽しいことも楽しいと感じなくなりました。
そして、美味しいものを食べても、美味しいという情報は伝わってくるものの、「うまいっ!」という感情が湧かなくなったのです。
それと同時に、楽しいときに笑えていたはずが、私から笑顔が消失してしまいました。
その状態から数年かけて寛容な妻と自助努力で、今ではこれまで以上に笑うことができる自分を取り戻すことができたのです。
難しく考えない
私は、昔から真面目な性格です。
それが、仕事で功を奏してきた部分は多々ありました。
それなりに良識のある上司にあたってきたので、頑張ってこれたのだと思います。
何事にも真剣に向き合うほど、評価されました。
言い換えれば、失敗を怖がり、リスクを大きく見積もるように、難しく考えるようにすれば、うまくいっていたのです。
こういう難しく考えることは、危険を回避できたりするので、自分を守ることにおいては、優れています。
しかし一方では、単純なことも難しく考えてしまうので、自分や家族を苦しめてしまう結果になるのです。
今の考え方になり、とても良かったと思えることは、寛容になったということですね。
とくに、我が子の言い分を尊重するようになったことは、本当に良かったと思っています。
50代という年代の人たちは、いい会社に定年まで勤め上げることに価値をおいてきました。
それを我が子にも当てはめています。
そうなると、我が子が仕事を辞めたいと切り出しても、「せっかく公務員になれたのだから…」と言って反対します。
それが今の私は「しっかり考えた結果なのであれば、いいんじゃないの!」と言えました。
それは、我が子は自分の所有物ではなく、我が子の人生は我が子のものであるからです。
親の願いとしては、我が子に幸せになってもらいたいと考え、無難な道をすすませようとしてしまいます。
しかし、無難な道が幸せかと言えば、そうではありません。
先が見えなく、不安ではありますが、あまり難しく考えすぎると、凡庸でつまらない人生になってしまいます。
これまで、難しく考えるほど自分を苦しめていたのだと思うと、できるだけ思いつめないほうがいいなぁ…と感じているわけです。
だから今では、肩の力を抜いて考えるようにしています。
なんとかなるという思考
私たちは、ある程度、結果を見通せることを選びがちです。
要は、なにかと保証を求めているのです。
- 言ったとおりにならなかった場合の保証は?
- 失敗したときは、誰が責任を取るんだ?
このように、仕事でも私生活でも予想外の結果に対して、不寛容であります。
この考え方、他人もそうですが、自分をも苦しめます。
先が見えないと不安と恐怖の感情で苦しくなるのです。
これまでの保証や失敗を回避する考えを改め、見えない未来に対し、「なんとかなる!」という思考を取り入れたことで、心が楽になりました。
実際、先のことを考えても何も見当がつかないとき、「どうしよう…」から「なんとかなるだろう❗」に変えたことで、本当に楽になり、どうにかなっています。
妙案がないときは、自然の流れに身を任せることですね。
楽しいと感じる感覚
楽しいことといえば、遊園地で遊んだり、歓楽街での夜遊びだったり、他人から提供されることを思い浮かべると思います。
それらは刺激的で、とても楽しいと感じます。
さらに範囲を広げて感じてみましょう。
他人からサービスを受けることの以外に、自分が創作したり、自分から行動することで能動的に楽しさを味わうのです。
料理だったり、日曜大工など、消費の楽しさではなく、生産することで楽しさを味わうことができます。
さらに、ジョギングや筋トレ、登山などで、自分を追い込むことも楽しいと感じることができます。
さらに突き詰めて考えれば、行動することで起きるトラブルに対し、不安を感じることろを、解決に至るまでのドキドキを楽しむことだってできるのです。
私たちは、健康であれば自分でどうにでもできます。
知識や技術がなくても、経験する中で培うことができるのです。
このような考えに至るには、ちょっとした勇気と行動が必要です。
心に無理をさせないで、やりたいと思いついたことを行動に移します。
ただこれだけで、これまで経験してこなかったことを体験できるのです。
数度、チャレンジしてみるだけで、自分に変化し始めます。
過去は苦しかったけど、今は生きているだけで幸せ
私は、つい2年前まで、苦しい毎日を過ごしていました。
30年以上勤めた職場の上司や同僚との関係が悪く、落ち込んだりイライラすることが多く、常に不安、恐怖に怯えていました。
そんな自分をどうにかして立て直そうと考え、著書などから、多くの知識を入手したのです。
そこから判明したことを述べていきます。
会社に尽くしすぎた
前述のとおり、私は真面目な性格で、一生懸命仕事に取り組んできました。
結論、それと私の八方美人が仇となって、上司からパワハラを受けるようになったと推察しています。
要は、酷い上司に当たってしまうと、自分の意見を言わずに、従順に従う部下は舐められ、奴隷化してしまうのです。
会社のためなら、サービス残業や休日出勤でも引き受け、自分と家族の貴重な時間を犠牲にしました。
上司にとってはそんなことはどうでもいいことです。
上司本人が上層部からいい評価を受けることが重要で、ハイハイとなんでも言うことを聞く部下なんて、眼中にない状態だったと思います。
このことから学んだことは、仕事でも他のことでも、”自分の意見はしっかり伝えること”が重要!
お金がないと生きていけない恐怖
私が仕事を辞める決意をなかなかできなかったのは、”お金がなければ生きていけない”と恐怖を抱えていたからです。
生活費、教育費など…
サラリーマン時代の稼ぎでさえ、裕福に感じられないのですから、仕事を辞めると考えるだけで、ゾッとしました。
仕事辞めたいと考えるたびに、お金の恐怖にその願望はたち消えたのです。
そんなことを繰り返して時が経過し、ふと、次のような考えが浮かんできました。
それは、「少ない収入でも生きていくことはできるのでは?」ということです。
長い年月を積み上げてきた給料を捨てたとしても、工夫次第で生活はできそう。
私のお金のブロックにヒビが入った瞬間でした。
生命保険、新聞など、不必要と考えることは解約し、無駄な買い物を控え、浪費を抑えたのです。
結論は、どうにかなる!ですが、いまのところ楽しい生活を送ることができています。
他人を気にして生きていた
SNSでメンタルがやられるなどと言われていますが、私たちは他人を気にして生きています。
「隣の芝生は青い」と感じますが、他人によく見られたいというのは、古くの昔から私たち人間にインストールされた本能の一部です。
現代社会のかなり前、部落という集団にいなければ、他の部族や獣から襲われて命を落とす危険がありました。
部落から弾かれるということすなわち生きられないことを意味したのです。
そうならないようにするため、他人から嫌われない必要があったことから、他人を気にするようになったと言われています。
それが現代でも常識だから嫌なことでもやっている状態なのでしょう。
そうやって私たちは、周りの人達を気にして生きてきました。
しかしある時私は、他人を気にして生きていることは、自分の人生を歩んでいないことに気がつくのでした。
他人を気にするあまり、自分の気持ちを圧し殺したり、やろうとすることができなかったりしたのです。
そうなのだとわかったら、あとは他人を気にせず、自分の人生を歩むのみ❗
とはいっても、すぐには自分を変えることができないので、徐々に練習していくのでした。
決して他人を否定するのではなくて、他人に気を使うあまり自分を抑えることをしないように気をつけるだけです。
他人に迷惑がかからないことを気をつけて、自分の行動に集中します。
自分が心配するほど、他人は自分のことを気にしてはいません。
こちらも、他人の行動を必要以上に気にしないようにし、他人に対して敵意を持たないようにします。
日頃から他人への不必要な反応をしないようにしていくのです。
そうすることで、次第に他人のことが気にならなくなります。
自分の今に集中することが重要になるのです。
自分の人生に向き合うことができれば自分の気持ちがわかるようになります。
次第に人間関係も変わっていくのです。
心が通じ合う仲間との交流が多くなり、社会資本が増加していくことになります。
他人を気にしないようになることで、生きることがとても楽になるのです。
自分の人生、捨てたもんじゃないと感じるようになります。
まとめ:生きていれさえすればなんとかなるもんだ
生きていて苦しいと感じることは多くあります。
なにかのきっかけで、耐え難い苦痛となり、人生レベルでの苦しみを味わう時期もあるのです。
その苦しみを乗り越え(その場から離れ)、考えて行動した結果、これから先をを楽しく生きていくことは可能です。
今回は、私の経験をお伝えしました。
- 今は当たり前に笑えるようになった
- 過去は苦しかったけど、今は生きているだけで幸せ
数年前の私は、職場のストレスがきっかけで、笑顔が消えました。
その異変に気づいた私は、色々な情報を元に、考え行動をしたのです。
そして、適度な楽観性を身に着け、と楽しいと感じることに集中するようになりました。
その結果、不安と恐怖は軽減し、楽しく毎日を過ごすことができるようになったのです。
過去を振り返ってみると
- 自分の意見を伝えなかったこと
- お金のブロックがあったこと
- 他人を気にしすぎていたこと
など、自分自身にも原因があったことがわかりました。
その当時は苦しい思いをしましたが、それがあったおかげで今があります。
自分の周りを見渡せば、感謝することばかりです。
感謝することができれば幸せを感じることができます。
人生を無駄にしようと考えたこともありましたが、生きてさえいればなんとかなるものです。
関連記事です。