現状に満足せず、常に考え続けること!
今の社会では、多くの場面で協調性が求められます。
協調性が高ければ、何事もスムーズに事が運び、非常に重宝がられるのです。
しかし、「協調性の高い人≒イエスマン」ということもあり、心地は良いけれども、それ以上のものはありません。
今回は、強調性を発揮するよりも、建設的なフィードバックを与えたほうがより成長に向かうよというお話です。
場の空気を大切にしている方向けです。
何かの参考になれば嬉しいです。
協調性よりも建設的な意見
多くリーダーは、自分の意見を押し通したいと考え、他の意見を受け入れなかったり、意見の衝突によって、まるで喧嘩のような状態になります。
場の空気が悪くなるのを嫌う
気が弱いのか、自分に自信がないのか、場の空気が悪くなるのを嫌って、自分の意見を述べない人(私)がいます。
意見を言い合うと、往々にして自分の意見を理解させたいというエゴが絡み、最終的には感情のぶつけ合いになるのが嫌なのです。
上司の決めつけが成長を止める
上司が自分の意見がだけ正しくて部下の意見は陳腐なものだと決めつけてしまうと、見下されるのが嫌で、意見を言うことができず、上司に同意するだけになってしまいます。
こういう組織は、成長しないのです。
上司が他の意見に耳を傾けようとしないので、それこそ上司の陳腐な発想で物事が進むという残念な結果になります。
こういう上司は、若い時代に出世を果たし、自分は優秀で価値ある人間だと思い込み、自分の一つの意見だけに固執し、他のことを検討材料に入れません。
できない人ほど、自分が優秀さを疑いもしないのです。
このことをダニングクルーガー効果といいます。
フィードバックを受け入れる
勘違い上司もそうですが、私たちもフィードバックを受け入れる必要があります。
他人からの切実な意見は、とても怖いし、痛みがあります。
成長するためには、他人からのフィードバックは欠かせないのでです。
それなのに、ショックを受けたくないのでできるだけ避けようとします。
もうそろそろ、そういう逃げることをやめる時期かもしれません。
勇気を出して、他人からのフィードバックを受けてみると、想像しているより怖くないのかもしれません。
きっと受けてよかったと思うのではないでしょうか。
思考し続けること
建設的な意見を受け入れることが大切な理由は、考えることを止めたいためでもあります。
諸行無常という仏教の言葉でもあるように、この世の万物は常に変化しているのです。
ですから、私たちは常に考え続けなければならなのです。
結論にたどり着いて楽になりたい
考えるという行為は、決して楽なことではありません。
それもあって、早く結論を出して、楽になろうとします。
私たちは結論だと思っていても、それは経過に過ぎず、さらに考え続けることで素晴らしい発想にたどり着くことができるかもしれないのです。
さらなる成長を望むのであれば、考えることを止めてはならないのです。
トラブルは考えるためのフィードバック
私たちは生きていると、何かと困難に出くわします。
行動量が多ければなおさらですが、普通に生活をしていても何かのトラブルに見舞われるのです。
その時、どうしていいのかわからず、苦しみます。
それを思考するためのフィードバックと捉えると、少しは前を向けるでしょう。
そう、トラブルというフィードバックがあって、それが考えるキッカケとなるのです。
家族の話
我が家には、現在地方で寮生活をしている大学生の子がおります。
その子に対する姿勢が夫婦で違うので、少し混乱しました。
私は本人に解決させたくて、決まったお金以外を安易に渡すことを嫌っています。
その一方で、妻はお金が足りない連絡がくると、すぐに送金したがるのです。
私は自分の意見が正しいと考え、私の考えを妻に押し付けようとしていました。
ここで、私は考えることを止めていたのです。
私が勝手に、大学生の子が何も考えていなくて甘えているだけだと決めつけていました。
もしかしたら、本人はしっかり考えているのかもしれないし、そうでないかもしれないし…
いろいろなことが想定できるのに、ひとつのことに固執していたのです。
我が子の様子を見守りながら、妻と一緒に考え続けることが大切なのですね。
まとめ:協調性よりも建設的フィードバックが重要
今回は、現状にあぐらをかかず、常にフィードバックを受け入れ、思考と止めないことが重要というお話をさせていただきました。
- 協調性よりも建設的な意見
- 思考し続けること
協調性の高さを発揮するイエスマンは、平和を保つことができても、成長にはつながらない
フィードバックを受け入れて、思考し、成長することが大切
考えることがつかれるので、早く結論らしきものを見つけ、楽になりたくても、考え続けることが重要なのです。
トラブルは考えるキッカケを与えてくれます。
子育ても決めつけないで、夫婦で見守りながら考え続けることを忘れてはならないのですね。
なにがどうであれ、常によりよい発想を求めて考え続けることが大切なのです。
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