みなさんは今を楽しく生きているでしょうか?
人間という生き物は、大きく進化してきましたが、急激に変化している現代社会には追いつけていません。
よって、約1万年前の狩猟採集民の時代に適した仕様のまま、社会だけが急速に変化し続けました。
生命の危険が激減した現代社会では、私たちにもともと備わっているネガティブに考える仕様が生きづらくしていることも多くあります。
狩猟採集民の時代では、ネガティブに考えることは、生命の危険から私たちを守ってくれていました。
しかし、現代社会では昔の安全装置がかえって生きにくい自分を形成してしまっているのです。
特に、過去の自分は、今では考えられない考え方や行動をしていた人もいるのではないでしょうか?
今回は、私の残念な過去を紹介しようと思います。
本記事では
- 自分の考えや行動を好きになれない方
- 自分に自身がない方
- 過去の失敗を後悔している方
に向けて、私の経験と考え方をお伝えします。
何かの参考になれば幸いです。
本記事を読み進めることで
- 過去の失敗を気にしない
- 前向きな考えをする
- 生きやすくなる
ようになります。
しばらくの時間、お付き合いくださいませ。
はじめに結論から申し上げますと
- 過去があるから今がある
- 過去の失敗からより良い行動をする
- 難しく考えない
ということです。
詳細は後述していきます。
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自信がなかった過去の自分
過去のわたくしは、かなり脆弱でした。
- 常に自信がない
- 劣等感が強い
- 周りの目を気にしていた
- 自分は不幸だと思っていた
常に自信がない
私は、他の人より秀でたものは何もなく、逆に回りの人より劣っていたと思います。
小学1年生の徒競走ではビリだったし、クラスの算数の引き算ができない少人数の中にいましたし…
他にも、色々と劣っていることがあったとおもうのですが、記憶に残っていないですね。
これらのことが原因なのか、成長しても自信のない人間になりました。
まぁ、素直にネガティブな本能に従っていたのだと思いますが…
劣等感が強い
何においても自信がなかったかし、何かをやっても常敗していました。
近くの友人の殆どは私よりも優秀でした。
そのような状況が続くと、自分は他人より劣っていると考えるのがデフォルトになっていきます。
そうです、劣等感を強く抱くようになっていきました。
中学、高校に進学したときも、劣等感がひっかかり、自分に自信を持つことができません。
これは大人になってからも同じ状態でした。
劣等感があると、戦う前から負けている状態です。
劣等感なんか持たないほうがいい。
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周りの目を気にしていた
多くの人もそうかもしれませんが、私は周りの目を気にして生きてきました。
社会人としての体裁や、身なりなど。
自分の行動に、他人から見ても大丈夫なことを選定しました。
これでは思い切ったこと行動をすることなんて到底ムリです。
他人の目を気にしすぎると、気が疲れるし、行動制限になってしまいます。
なんともいただけないことなのでしょうね。
自分は不幸だと思っていた
私には自信がなく、劣等感が強く、母子家庭で育ちました。
周りの友達より劣っていることが多く、家庭環境も違っていたので、「自分は不幸だ!」と思って生きてきました。
私以外の人達の人生は順風満帆に進み、みんな私以上に幸せなのだろうと思っていたのです。
人生には、辛いことがあり、そのインパクトが強いため、記憶に残りやすいです。
そのことが、さらに私だけ不幸なのだと思わせたのです。
これらのように、過去の私は、多くのことをネガティブに考えてきました。
楽しいことや良いこともそれなりにあったのに、ネガティブな事って印象的なのですよ!
パワハラで過去最低のメンタルに
ベテランサラリーマンをしていた私は、アラフィフになって、上司から強烈なパワハラを受けることになりました。
このことが原因で、メンタルが落ちていきました。
自宅に帰宅しても、仕事のことが頭の中をめぐり続けました。
次第に私から笑顔が消えていく始末。
家族旅行をしても、楽しいと感じることができなくなりました。
この時、転職を考えればよかったのに、パワハラで恐怖を植え付けられると、思考能力が低下し、冷静な判断ができなくなるのです。
怖い、怖い!
そんなどん底状態の時、私は「この苦しい状況から脱したい」と考えました。
そこから、ネットや著書で学び始め、「考え方」「習慣」を変えていきました。
その結果今の私が存在するのです。
見た目に大きな変化はありませんが、思考が大きく変わったのだと思っています。
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今の私はこういう人です
今の私は、過去と比べて大きく変わったことは、楽観的になったのが大きいです。
自信がなかったり、劣等感を抱いたり、自分は不幸だと思っていたことを「どうでもいいや」と考えるようになりました。
これらのことは、いくつかのネガティブな事実に対して、自分が勝手に抱いた感情なのです。
なので、そんなのどうでもいいと考え、自信があるわけでもないわけでもないのが今の自分です。
他人の目を気にしていたことも、どうでもいいと思えると、自分がやりたい行動をすることができるようになります。
その他、他人から攻撃をうけても、余計にダメージを負わなくなりましたし…
重い通りの結果にならなくても、心が折れないようになったり、過去や未来のことを必要以上に考えなければ、ムダに不安を抱くこともなくなりましたし…
さらに、目くじらを立てることもなくなり、容認しまくりです。
容認すると、怒らなくなります。
渋滞に巻き込まれても、「仕方ないよねぇ〜!」で片付いてしまいます。
子供が突拍子もない事を言ってきても「自分でリスクを考えて、できるなら自己責任でやってみたらいいでしょ!」と昔なら全否定していたことにも容認します。
過度に心配しても、ムダに終わることが多いのですから。
こうなると、今まで常識に思ってきたことに違和感がでてきます。
例えば、会社でいうと、「時間前に出社し、時間通りには退社しない」や「サービス残業は当たり前」だったり。
部署で自分だけかもしれませんが、「一生懸命仕事して、定時に退社する」ことが今の当たり前になっています。
その他、「3度の食事が当たり前」だったり、「社会人はニュースをチェックしたり新聞を読む」とか、「生命保険」とか。
なんだか、いろんな事に縛られて生きたけど、生きづらかったよね!
過去の自分に後悔する必要は全くありません。
過去の自分は脆弱だったけど、いろいろな思いがあったから、それに対して、もっと良くする方法を考え、変化してきました。
今の私は、ムダに力むことなく、真面目に生きているのです。
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まとめ
過去の自分に嫌悪していましたが、その必要は全くありません。
過去の自分があったから、より良く考えることができ、より良い行動が出来ているからです。
特に、人間に備わっているネガティブに考える傾向のため、悲観的に自分を見てしまう過去がありました。
そこから、いろいろな学びを経て、以前とは比較にならないほど、楽に生きられるようになりました。
楽と言っても、生活が楽になっているわけではなく、捉え方が変わり、楽に感じることができるようになったのです。
「足るを知る」という言葉を肝に銘じ、一度しかない人生を冒険していきたいと思います。
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