親は、こどもの進路が決まるまでは、落ち着いていられない。
かわいいこどもに過度な期待をするせいでもある。
先日、浪人の結果、無事に進路が決まった記事を書いた。
過去記事;不合格を受け止めるー信念を持って未来を見つめる【不安でも仕方ない、切り替えよう!】
複数人のこどもを育ててきましたが、先に就職している娘の当時の事を思い出したので、今回はそのことを書こうと思います。
本記事では
- こどもの進路が心配な方
- あまり勉強しないこどもをお持ちの方
- 自分の進路に真剣にならないこどもをお持ちの方
に向けて、過去に心配した私のこどものことをお伝えします。
何かの参考になれば幸いです。
本記事を読み進めることで
- 少しは安心できる
- 考えている以外の情報がわかる
- なんとかなるかもしれないと思える
ようになります。
しばらくの時間、お付き合いくださいませ。
はじめに結論から申し上げますと
- 体力系の就職先(公務員)の募集があるかもしれない
- 本人の気が進まない場合は、慎重になったほうがいい
- 無理にお金を掛ける必要なない
ということです。
詳細は後述していきます。
娘の性格
私の娘は、大人になった現在では、大人の革を被った明るくていい人に見られているようで、多くの人が寄ってくるくらいです。
生まれてすぐから、自分というものを持っていました。
新生児のときは、抱っこしていないと寝てくれませんでした。
長時間、膝をつかっていい感じで揺らしながら寝かしつけたので、ベッドにおろした途端に「ギャーッ!」と、なんで下ろしたんだと言わんばかりに泣き始めるのです。
これには、苦労しました。
幼少期は、周りに合わせることを全くといっていいくらいしませんでした。
出かけるにも、自分のペースでしか準備しないので、家族みんなを待たせていました。
協調性ゼロのこどもでした。
そんな娘も、保育園に通うようになり、少しは成長しました。
私が驚いたのは、運動会でみんなと一緒に踊っていたのです。
先生の言うことを素直に聞いていて、みんなと同じ動きをしていました。
幼い頃から人の言いなりにならない子だったのに…
それから徐々に人間の社会に馴染んでいきました。
音楽とサッカー
そんな娘も、小学生になり、年長のときにエレクトーンをやりたいと言い出したので、習うことにしました。
小学3年になってからは、サッカーもやりたいということで、はじめました。
練習は、両方ともサボることなく、通いました。
目立って優秀ではありませんでしたが、楽しんでやっていたので良かったと思います。
そのままエレクトーンもサッカーも高校まで続けました。
サッカーは男子と混じってプレーしました。
高校では、男女混合ではできませんでしたので、練習は、男子の中に一人だけ女子が混ざり、やらせてもらい、女子のクラブチームに加入して試合に出場しました。
娘は、生まれたときと変わらず、自分がやりたいことを貫くことは、何も変わっていませんでした。
他人がなんと思おうと、迷惑をかけれいなければ突き進むのです。
このことについては、関心します。
泣きながら勉強
自分が狙ったことには突き進む娘です。
中学に入った頃、英語に苦戦していたことがありました。
夜な夜な英語に取り組むのですが、どうしても理解できなかったようです。
英語の発音とスペルが結びつかないことに納得がいっていなかったのです。
悔しくて泣いている娘に「ローマ字と英語は違うんだよ!」と言い聞かせました。
渋々納得して、勉強を続けていました。
中学の頃は、真面目に授業を受け、テスト前は、家庭学習もしていたので、そこそこ上位にいたようです。
あるとき、学年1番の歪んだ性格の男子生徒の行動や言動が許せなかったので、この男子生徒を学年トップから引きずり落としたいという理由で、猛勉強したことがありました。
変わった理由ですが、努力する理由はどうでもいいです。
でも、変わっていて、面白いと思いました。
かなり苦労して、勉強した甲斐もあって、見事トップになったのです。
娘の勉強は、このころを最後にやらなくなりました。
燃え尽きたのかもしれません、
進学校なのに
中学の成績が良い方だったので、進路は地域でトップの進学校を目指すことになりました。
中学3年になっても、なかなか受験勉強を始めませんでした。
業を煮やして、妻が「いつ受験勉強をはじめるの?」と娘に問いました。
娘は、「秋になったら本気で取り組む」といい、寝てばかりいました。
結局、受験直前になっても、燃え尽きたままで、一切家で勉強をしませんでした。
授業だけは真面目に受けていたので、なんとか意中の高校に合格できました。
高校生になっても、相変わらず、勉強をしない状態が続きました。
サッカーをやって、家に帰宅すると、ソファーで寝てばかりです。
男子の中で練習して、「〇〇くんを止めた」などと喜んで話していたりもしました。
進学校では、娘の成績はビリではないものの、かなり後ろの方でした。
家庭学習はしませんでしたが、授業は集中していたらしく、時には家庭学習をしている生徒よりテストの点数が良かったりもしました。
そんなときは、娘より点数が低いと、できの悪さの基準になっていました。
結局、高校時代もやるやる詐欺のノーベンで終わるのでした。
看護の道を目指す?
ノーベンの娘にも卒業後のことを考えなければならない時期が来ました。
娘は、行きたい先が見つからないのでした。
こういうときは、親の希望が多く詰まった提案がなされます。
妻からは「看護師はどう?」と提案されます。
娘は、何も思い浮かばないので、それに従おうとしました。
一応、看護師を目指すことにした娘は、仕方なく看護学校の見学も終わらせました。
感想は、「…」です。
「なんかちがうんだよなぁ…」とはっきりしない返答。
急展開
そんな自分の看護の道にモヤモヤしている娘でした。
夏休みが終わって、少し経過した時の話です。
学校にあるオファーがきたというのです。
そのオファーとは、消防署の女性職員の募集です。
学校推薦1名の枠が与えられてのでした。
職員室では、男性のイメージが強い消防士に推せる女子生徒は、娘の名前がすぐに出たといいます。
学校の中でも、男子の部活で女子がガチでやっていることは、目立っていたのでしょう。
そんなことで、先生から話を頂いた娘は、「キターッ!」といったように、ビタッとはまったのでした。
目指す進路が急展開したわけですが、娘は試験のために、準備をはじめました。
学校が終わると、家の近所の公園で、斜め懸垂などの筋トレを開始。
目標が定まった娘のハングリーさはすごいものでした。
先生方の協力と娘の努力も合って、学科及び体力、面接試験をパスすることができ、無事に就職することになったのです。
仕事は大変みたいですが、憧れる先輩を目指して、ほとんど泳げなかったのに、練習をしまくって、泳げるようになり、海難救助の資格をとっています。
仕事以外では、一人暮らしを満喫していて、休日には、友達とスノーボードをしたり、旅行にでかけたりしています。
まとめ
ちょっと普通の人とは違う性格の娘の話でした。
進路は、親の希望が入りやすくなります。
親は手助けはするものの、介入のしすぎには注意すべきです。
やはり本人の気持ちを重視することが大切になります。
だからといって、家庭の家計事情を無視して、好きなように専門学校などを選択するべきではないと思います。
限られた資金の中から、進路を決めるべきだと思います。
厳しくしすぎても、甘やかしてもだめなのです。
それと、周りに合わせて進路を決めることは絶対に駄目です。
他人は関係ないので、たとえ格好わるくても、冷静な判断が大切です。
浪人したっていいんです。
長い人生、転職することだってあるんだし…