我々の考えが及ばない結果になる!
すごく当たり前な話だけど、多くの人は、損をしたくないと考える。
私もそうだ。
自分の損得ばかり考えていると、私たちが所属しているコミュニティーの中で、不都合が生じる。
個の得ばかりを気にしていると、次第に争いが起こる。
損しないように考えがちだけど、長期で考えると、そうではない。
ネットの情報や、周りで起きていることを参考にしてみると、損しないことに注力しているせいで、チャンスを逃していることもある。
例えにするには、難しいかもしれないけれど、オセロゲームを出してみたいと思う。
私は、決してオセロが強いわけではないけれど、自分の戦略が、「損して得取れ戦略」だった。
序盤、わざと自分のコマが少なくなるようにしていく。
ゲームが進み、オセロ盤の縁まで進んだところで、攻撃的にシフトさせ、できるだけ多くの石を自分の色にしていく。
目の前の得ではなく、長期的に見て得になるように仕向けたのです。
オセロに必要な道具
オセロゲームに最低限必要なものは、オセロ盤と64枚の石です。 コマと言う人もいますが、正式には「石」と呼びます。英語ではそれぞれ Othello board, Disc です。
今回は、損したくない人の性質を考えてみたお話です。
本記事では
- 損することが大嫌いな方
- もっとゆったり生きたいと考える方
- 目の前のことばかりに囚われている方
に向けて、損をしても大丈夫であることをお伝えします。
なにかの参考になれば幸いです。
本記事を読み進めることで
- 損することが悪いことではないことがわかる
- 心にゆとりができる
- 行動しやすくなる
ようになります。
しばらくの時間、お付き合いくださいませ。
はじめに結論から申し上げますと
- 損するを毛嫌いする必要はない
- 物事を長期的に見る
- 損をしても経験を得られる
ということです。
詳細は後述していきます。
損したくない
私たち人間は、利益よりも損失を嫌がる傾向にあります。
なので、ほとんどの人は、損することを嫌がります。
私は、損することをものすごく嫌う人間です。
足し算引き算の算数的考えをしていたのです。
この、損をすることに嫌悪するのは、人が持つ本能のひとつです。
プロスペクト理論といって、人はもともと損失を回避したがる決断をしがちということです。
- 利益を得られる状況 リスクを回避する
- 損失になる状況 リスクを選択する
プロスペクト理論(プロスペクトりろん、英: Prospect theory)は、不確実性下における意思決定モデルの一つ。選択の結果得られる利益もしくは被る損害および、それら確率が既知の状況下において、人がどのような選択をするか記述するモデルである。
行動経済学における代表的な成果としてよく知られている。 期待効用仮説に対して、心理学に基づく現実的な理論として、1979年にダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによって展開された。 カーネマンは2002年、ノーベル経済学賞を受賞している。
損したっていいじゃないの
本音を言うと、損はしたくありません。
損をしたくないということに囚われすぎていると、窮屈に感じることがあります。
冷静になって考えてみると、多少、損することがあってもいいのではないのか。
損しないように力んで生きるよりも、損する方が幸せに生きることができるかも?
他人に施すことで幸せになるのであれば、自分も幸せを感じる。
決して、自分が犠牲になってはいけないが、損をしても気に留めなければ、痛くない。
以前は、損したと感じると、嫌悪していたのに…
「損して得取れ」という言葉がありますが、得を期待しないでいることが幸せでいられます。
損だけかというとそうではなく、
経験を得ることができます。
損得のメカニズムを崩すことが大切であり、
損得を考えるというエゴ自体が損であるということです。
ビジネス関係の記事に、「損得よりも、人の為に行うことが大切」と論じられています。
経営の神様:松下幸之助翁の1965年の発言に、以下のようなものがあります。
私ども子どもの時分によく親方から教えられたのは、商売人というものは、“損して得取れ”ということです。これは少し旧式な話でありますけれども、損して得取れ、損を惜しんでは商売人として成功しないということを言われたのであります。これは商売だけではなくて、人間全般に通ずると思うのです。個人、人間の社会生活に通ずることだと思います。今日の言葉でいうならば、まずサービスからかかれ、サービスをして初めて成果が認められるんだということと同じことだと思います。
ペイフォワード
「ペイフォワード」の仕組みはこのようなものです。AがBに与える。BはAに恩を返すのではなくCに与える。CはAやBに対して恩を感じながら、つぎの世代へより多くのことを伝えていく。やがて社会には互いを思いやり、自然に後進が育ちやすい、ポジティブな循環が生まれます。
仏教のことばに「喜捨(きしゃ)」というのがあります。
喜んで捨てる、と書いて「喜捨」。仏教ではどんな行為をするときにも「相手に喜ばれる」「見返りを受けられる」などと期待するのではなく、「その行為ができる」「させていただける」という事実に感謝することこそ大切だと考えます。対価が得られないことに不平不満を並べるより、「させていただける」「ありがたい」と感じることで、穏やかな心が得られるのです。
仏教を信仰していなくても、非常に参考になります。
損得勘定を抱くよりも、人のためにということは、相当奥深いことなのではないでしょうか?
遠回りするのも悪くない
私たちの社会は、テクノロジーの進歩など、目まぐるしい変化を続けています。
それは、効率が価値あるものが優先される時代なのです。
そんな風潮のなか、真っ直ぐ得を目指さない遠回りの生き方は効率が悪く、運が悪いように思われがちですが、真実は違うのではないかと思うのです。
人生は、一見「損をした」と思えるようなことが、実は大きな幸運の種子になっていて、回り道や非効率は、複利という名の幸運の積立になっているのです。
なので、目の前のことだけに着目するのではなく、長い目で、人生目線でとらえることが重要だということです。
自分の周りには、短期に成果を成し遂げる人がいます。
それに反応してしまってはダメです。
自分は自分、他人は他人です。
成果を期待しすぎると、イライラしたり、動きづらくなったりします。
心を乱すことなく、自然体で行きましょう!
損得勘定で機会損失
浪費をしないことはとても大切なことです。
自己投資することも大切なことです。
自己投資だからといって、何でもかんでも支出することは、いいことではありません。
浪費と自己投資を判断するのは、難しかったりします。
自己投資を心がける人を狙ってお金儲けをしている人も多いです。
私はどちらかと言うと、できるだけ支出しない人です。
目の前の損得勘定をしっかりとするタイプです。
出費を抑えすぎて、自分の為になることにすら、支出できないでいました。
判断を誤っていたと思います。
気がついたときが吉日と考え、これからしっかりと判断をして、自己投資を積極的に行いと思います。
まとめ:損をしないようにチマチマ生きるのはイヤだ!|ゆとりある人生を送りたい
人は、自分が損したくないと考える生き物です。
しかし、損得勘定に囚われすぎると、窮屈な生き方になってしまいます。
損してもいいやと思うことで、痛みを気にしないでいられます。
他人に施しをすることで、自分が幸せを感じることができます。
その時は、損と感じても、それが経験になったり、後々の幸運につながっていたりするので、悲観するのは、無意味ですし、損なのです。
為せば成る為さねばならぬ何事も
損して得取れ
見栄を張るな