本当の自分が何かを企んでいる!
最近、自分の事が自分でもわからない。
著書や動画などから経済や哲学の情報をインプットした。
はじめのうちは面白く感じて、食いついていたけど、次第に飽きがきたのか、頭の中で情報整理が追いつかなくなったのか、面白くなくなっていった。
ただの飽きたのなら良いが、なんだか様子(自分の)が変なのだ。
なんとなく、モヤっとした感覚がある。
自分の内観を試みた。
自分が一歩踏み出そうとしているようだけど、わからない
自分を変化させようと、一歩踏み出そうとしているようにも感じる。
このような違和感は初めてのこと。
もしかしたら、よくある話なのかも知れない。
とりあえず、自己分析をしつつ、これを読む方にもなにかの参考になれば嬉しく思います。
思考が変わってきている?
わたしはガッチガチの安定した人生を求める人間です、人間関係で心が沈むまでは…
これまで、世間で言われる常識を大切にしてきました。
体裁を気にして、生きてきた自分がいて、それを押し付けられた家族も。
それが、一生懸命になればなるだけ、苦しくなって。
そして、職場の人間から攻撃を受けるようになっていった。
なぜ?
関連記事:上司のパワハラで心身が限界になる前にー自分ができることをして幸せに暮らすために
今では主観的ではあるものの、沈んだ心も浮上することができ、楽しく生活できるようになりました。
なんとなくですが、いままでの考え方の逆を行ったほうがうまくいくのかも?と考える自分がいます。
完全にリスクを避けて生きてきましたが、リスクを取る生き方もいいのかも?と。
- 貯蓄よりも株式や債権への投資
- 力むより脱力した方がうまくいくことがある
- 損したり悔しい思いをしてもいいのかも
というのが、避けてきたことをあえてやってみたいと自分の中の私が考えていることのようです。
社会に失望
日本の教育を高校まで受けてきました。
今となっては、洗脳教育だったのではないかと、ひねくれた考えもしていたり。
お利口さん製造工場とも言えます。
いい会社で勤め上げ、一生を終える。
その中で、結婚して家庭を築く。
長期ローンでマイホーム購入し、日本経済を支える。
給料から言われるがまま税金を天引きされ、手残りが減る。
一生懸命残量で給料を上げたとしても、引かれる金額も増えるので、頑張った見返りが少ない。
手残りが少なくなった給料を大量消費で経済を潤す。
無駄な消費がかなりある。
テレビCMで煽られて消費を繰り返している現実。
そして楽にならない生活。
やっていることが悪循環。
国が国民を幸せにしてくれると信じていたのに、コントロールされている。
虚しく思う。
会社も信用ならない
会社に所属している以上、一所懸命働くことは当然だ。
一所懸命になりすぎて、かなり多くの時間を注いでしまったようだ。
家族との時間も犠牲にして。
それだけ、忠誠を誓っていたのです。
ある一定の評価を頂きましたが、評価する人間が変わると、好き嫌いで判断する輩もでてきます。
そこにハマってしまうと、きびしい。
別に評価されなくてもいいから、攻撃はやめてほしかった。
評価される社員が上かと勘違いしていた。
頑張らない人や実績がない人でも、評価基準がおかしな人に好かれれば、評価される社会なんだなぁとつくづく感じた。
そんなわけで、会社の評価など気にする必要なないのです。
そんな残念な社会にわたしは落胆した。
嫌気がさした。
興味がなくなった。
大切なことは別なところにあるのだろう!
本音で話ができる仲間はいい!
突然、昔の仲間から連絡があって、合うことになった。
その方は、自分と得意分野が異なり、仕事ではいい関係だった。
過去から今の仕事について、話をしたのだけど、自然に言葉がどんどん出てくる。
普段の悪い環境では、思ったことを言わないようにしている(言ったところで通じない)せいか、心の奥にある自分でも言語化できていないことも発していることに驚く。
パワハラでどん底まで落ちたことや、自分の性格から自分を追い込んでしまっていたことなど。
以前のいい環境にいると、仲間の喜ぶ顔が見たくて、多少無理をしていたことも、そのときわかった(自分の中のわたしが話したから)。
自分には頑張ろうと自分自身に厳しくしていたから、さらに苦しかったんだ。
本音で語っていると、自分では気が付かない自分が現れて、驚きと面白さを感じた。
孤独はつまらない
孤独も気楽でいいのだけど、そればかりでは寂しい。
なので、時々交流ができる人とはつながっておく。
幸い、嫌われてはいないようなので。
その中でも、気を使う人とは距離をおいたほうが楽。
今の職場の人たちは、ほぼ全滅。
以前の職場関係が多いかな。
皆、遠くだけれども、ネット環境があれば、交流ができるし、たまに遠出して食事するのもいい。
そこで、本音で話できれば、再び中にいる自分に出会えるかもしれない。
これが本当の自分だと決めつけてはならない
自分のやりたかったことはこれだ!と気づく時があるかもしれない。
しかし、それは疑ってかかるべきだ。
そのとき、にわかに感じているだけかも知れない。
本当の自分なんてものは、あらかたわかるものではない。
よく内観し、自分を観察し続けること。
そして、成長を続けていくことで、なんとなく自分ていうものが、理解できるのかもしれない。
いま時点の自分は、という考えで、絶対ではないと肝に銘じておくのです。
まとめ
心を許せる方との会話から、自分の本音が自然に発することがありました。
いつもの自分は、表面上の自分であって、本当の自分とは少し違うことがわかりました。
上司のパワハラがキッカケで、心が落ち込み、様々な思考をし、なんとか復活しました。
パワハラが主原因で、自分の自分を追い込む性格も原因していることがわかりました。
それは、以前の職場の仲間の期待に応えたくて、無理にでも頑張るクセがついていたからです。
それをパワハラ上司との間で頑張ったがために、自分のメンタルを落ち込ます要因だったこと。
自分自身でも本当の自分の事がわからないということがわかりました。
いい仲間とはつながっておいたほうがいいです。
今は海外にいる仲間とでも、すぐにやり取りができます。
非常に便利。
気を使う人とは、距離をとる。
独りもいいけど、たまに寂しくなるので、仲間と交流することはいい。
多くなくてもいいので、そういう仲間と交流をする。
そして、本当の自分に登場いただく。
汝自身を知れ