「善と悪」の判断はしなくてもいい!
多くの人は清廉潔白を演じることに努力しています。
だから、人として良い行いを見せようとするのです。
「私は良い人間」だから、選挙で票を投じてくださいアピールだったり…
ある芸能人が不倫すると、悪い行為だから許せないと、全く関係ない一般人が怒っていたりと、善悪で区別します。
今回は、善と悪についてのお話です。
善悪の区別って、それほど重要ではないのではと考えます。
他人を気にしすぎている方向けです。
何かの参考になれば嬉しいです。
善悪の判断をするのはどうして?
私たちは、普段の生活のほぼ全てで、善悪の区別をしています。
特に、悪いことがあれば悪いレッテルを貼るのです。
それ以外は、「普通」だったり、「良い」に分類されます。
- 遅刻をするのは悪いこと
- ウソをつくことは悪いこと
- 人の悪口を言うのは悪いこと
などと、自由に法律以外の決まりを作ってしまうのです。
さらには、間違っていることでも良いこととして、力技で認めさせる人もいます。
権力者などがそうです。
こういう善と悪の二元論にしてしまうと、楽しくなかったり、苦しくなったりします。
- 自分を追い込む
- 他人を受け入れられなくなる
です。
自分を追い込む
「善と悪」の二元論になってしまうと、自分はダメだと自分を追い込んでしまいます。
自分はダメな人間だ!と悪のレッテルを貼ってしまうのです。
人間なんだから、いい面、悪い面はあるのです。
それなのに、悪のレッテルばかりを気にして、苦しむのです。
さらに、「べき思考」にもなってしまって、がんじがらめになります。
他人を受け入れられなくなる
自分と同じように、他人に対してもレッテル貼りをします。
- 燃えるゴミの日じゃないのに、ゴミを出した他人は悪い人
- 車の駐め方が自分勝手だから悪い人
だったり…
善悪の判断をするから苦しい
これらのように、「善と悪」を判断してしまうと、悪い自分や他人を気にしすぎて、苦しくなります。
良かれと考えてとった行動が、逆に迷惑を掛ける結果になったり、悪気のない他人に悪のレッテルと貼って無駄に嫌悪したりするのです。
本当は、とてもいい人にも関わらず、悪のレッテルを貼っている期間は、いい関係を築くことができなくなります。
気にしなければいい
自分ってダメな人間だなんて考える必要がなく、ただのわたしは私なのです。
他人より劣っていることがあっても、普通なことですし、決して悪いことではないのです。
悪いと気にするから、苦しくなります。
気にしなければいいのです。
他人に対しても同じです。
ゴミの日を間違っていても、自分の車との感覚が狭くなっていたとしても、機にしなければいいのです。
気にするから、嫌な気分になるのです。
「あっ、勘違いしてゴミ出したんだな」
「車の駐車が下手なんだな」
と笑い飛ばしてしまえばいいだけ。
気にしないようになると、大切なことに集中できて、充実した日にできます。
日本むかしばなしと童話
幼い頃、絵本やテレビで日本むかしばなしや、童話と見聞きしたのではないでしょうか?
私も幼い頃は良く見ました。
「かさじぞう」や「金の斧銀の斧」などです。
これらの物語から幼い頃の私が受けた印象は、「良いことをしよう!」です。
話の中では、良いことをしたあとに、物質的な報酬が手に入っていました。
このような良い行いをすると、いいことがあると考えるようになりました。
良い行動の原動力は、物質的報酬になります。
損得勘定が生まれたのです。
良いことをするために、悪い考えをするのです。
まぁ、ここで善と悪を区別する必要もないのですが…
本当の意味で大切なことは、自分がやりたいことをやればいいということです。
人に親切にしたければ、心の赴くままに動けばいいし、そして、気分良くなればいい。
これと同じようなことで、ボランティア活動もそうです。
「いいことをしたほうがいいから」だとか、「他人のためになにか行動を起こすべき」という理由でやらないほうがいいと考えます。
純粋に心が動いたのでボランティアに参加したいと、能動的動機が重要です。
期待していなかった、精神的報酬を得ることができるでしょう。
「善と悪」の区別してしまうことで、おかしな思考が絡んできます。
そのことで、人とのつながりを分断したり、他人を嫌うようになるのです。
自分もアノ人も、いい人だったり悪い人ではなく、自分であり、アノ人なのです。
私たちに大切なことは、他人を気にすることではありません。
今、そして自分の人生を楽しむことです。
まとめ:「善と悪」の判断をしないで、心地よく生きる
善と悪の二元論にしてしまうと、楽しくなかったり、苦しくなったりします。
- 自分を追い込む
- 他人を受け入れられなくなる
です。
「善と悪」を判断してしまうと、悪い自分や他人を気にしすぎて、苦しくなるのです。
「かさじぞう」や「金の斧銀の斧」などの物語から幼い頃の私が受けた印象は、「良いことをしよう!」です。
話の中では、良いことをしたあとに、物質的な報酬が手に入っていました。
このような良い行いをすると、いいことがあると考えるようになりました。
良い行動の原動力は、物質的報酬になります。
損得勘定が生まれたのです。
良いことをするために、悪い考えをするのです。
「善と悪」の区別してしまうことで、おかしな思考が絡んできます。
そのことで、人とのつながりを分断したり、他人を嫌うようになるのです。
自分もアノ人も、いい人だったり悪い人ではなく、自分であり、アノ人なのです。
私たちに大切なことは、他人を気にすることではありません。
今、そして自分の人生を楽しむことです。
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