子供でも一人の人として向き合うこと!
日本に住む私の価値観は、多様性に乏しく、
目立つ人がいるとその人を排斥しようとします。
日本は島国のため、他国からの占領や、
移植民の流入など、他国の風習が入ることがありませんでした。
よって、日本古来の文化風習が代々引き継がれてきたのです。
現代では、モノや情報のやり取りが瞬時に行われ、多様性が増しました。
それでも、日本国民は急激な変化に嫌悪感を表し、
奇抜な人間や突飛な行動に対して寛容になることが難しく、
非難をしたり、誹謗中傷をする人が多いのが現状です。
過去の私は、世間一般で言われている常識を重んじきました。
それゆえ、自分や自分の家族に対して「〇〇すべきである!」や「〇〇しなければならない!」といったように価値観を押し付けてきました。
そのことが原因で私自身も苦しんだし、私が家族を苦しめてきたのです。
それに気がついた私は、今では寛容になり、子供であろうと、一人の人間として尊重することにしました。
寛容になるだけで、驚くほど私と家族が幸せを感じることができたのです。
私の寛容さに欠ける抑えつける行為が、楽しさ、楽観性、期待感、冒険心、可能性などを奪っていたことに気づきました。
今回は、寛容さに欠ける行為は、ネガティブしか生まないようというお話です。
普段、テレビのニュースやワイドショーから影響を受けている人向けです。
自分に被害が及ばないことであっても、当事者を責めてはいないでしょうか?
その当事者を責める思いは、自分にとってプラスになるのでしょうか?
何か参考になれは嬉しいです。
寛容さに欠ける人は関係ない人を批判する
近年、文春砲が炸裂しまくっています。
芸能人の不倫などは、週刊誌やワイドショーにとっては、とても美味しいネタになるのです。
ワイドショーに即発されて、関係のないテレビの前でお茶を飲んでいる人も
コメンテーターと一緒に、当事者を大バッシングします。
確かに、一夫一妻制の日本では、やったらいかん行為であることは確かです。
だけど、あなたに関係ありますか?
番組のリポーターは、寄ってたかって、当事者をいじめます。
関係のない視聴者に謝罪をさせて、まるで公開処刑です。
謝るのは、相手側関係者や家族であったり、仕事関係の方々でいいはず。
それなのに、関係のない一般人をテレビに釘付けにし、
不倫をしたタレントを攻撃する気持ちを高ぶらせ、
多くの寛容さに欠ける人を創り出しているのです。
寛容さに欠ける人は客観的視点に立つこと
今の社会には、多様な価値観が混在しています。
自分の価値観だけを尊重して、それ意外の価値観は排除しようと寛容さに欠ける人もいるのです。
それでは社会は成り立ちません。
多くの人が多様な価値観の存在を客観的視点で捉えることが大切になります。
例えば、喫煙者を例に挙げたいと思います。
最近では、受動喫煙による健康被害が社会問題になっています。
それもあって、喫煙者は減っていますが、それでも一定数存在します。
禁煙者からすると、一方的に喫煙者を否定したい気持ちに駆られます。
健康に害があり、不快な臭いを放ち、迷惑でしかないからです。
しかし、喫煙者がいることで、年間約2兆円のたばこ税が国と地方に納められているのです。
タバコを吸う人がいるから税収が増え、私たちの暮らしが少なからず豊かになっていることは確かなのです。
ある小さな飲食店は、禁煙にすると利用客が減るので、喫煙OKにしているところもあります。
禁煙者は、タバコを拒否するのであれば、そういった場所に行ったり、
喫煙者と会うことをしなければいいのです。
また、喫煙者は、人がいる場所では電子タバコにしたり、
禁煙者の前ではタバコを吸わないなど、
お互いに配慮することで、価値観の共存が可能になります。
原発反対と強く訴えながら、火力発電による電気料金の値上げを大反対していては、
どうにもならないのです。
客観的視点で物事を見て、受け入れていくことで平和な社会を創造できるのです。
寛容さに欠けた私が、寛容になって得た幸福感
過去の私は、昭和の価値観で生きていました。
「〇〇しなければならない」や「〇〇すべき」など、一般的に常識と言われることを重んじてきたのです。
そのことで、私自身も、私の家族も抑えつけてしました。
サラリーマンだった私は、我慢することが当たり前となっていて、
世間体を気にしながら生活していました。
子どもたちには、人の言うことを聞く「良い子ちゃん」にするために、厳しく育てました。
親の言いつけを聞かないときは、ゲンコツが子供の頭に落ちたのです。
そうやって、抑えつけていても、思春期というものがやってきます。
納得がいかない子供は、私に異を唱えるようになり、関係性が悪くなりました。
私と子供との会話がなくなり、ぎくしゃくしているとき、私が変化する機会があったのです。
信じていた会社に不信感が芽生え、私の価値観は変わりました。
「あれっ、俺の価値観って…」
これまで、自分や家族を無理に抑えつけていましたが、開放したほうがいいのかもと寛容になることができたのです。
子供を常識で縛り付けることをやめ、一人の人間として接するようにしました。
子供の意見を受け入れ、尊重したのです。
そうしたことで、良い変化が起きました。
私と子供の関係性は改善し、家の中に明るい会話が飛び交うようになりました。
子どもたちも、自分の行動に責任を持つようになり、それぞれ考えるようになったのです。
私が寛容になったことで、家族全員から足かせがなくなり、自由になりました。
今では、私に否定される恐れがないことから、
素直に「ありがとう」や「ごめんなさい」という気持ちを表現するようになったのです。
寛容さを身につけた私は、「良い家族を持ったなぁ…」としみじみ幸せを感じるようになりました。
まとめ:寛容さに欠ける過去の私は苦しかったー今は幸福感に満ちている
島国の日本は有名人の不倫に関係ないのに過度に反応する人がいます。
寛容さに欠けるのですね。
多様な価値観が混在する社会では、自分の価値観だけを主張するのではなく、
客観的視点に立って、物事を判断すへきなのです。
私の過去の失敗は、昭和の価値観を自分と家族に課したことです。
「〇〇であるべき」や「〇〇しなければならない」といったことで抑えつけてきました。
そのことで、家庭内がギクシャクしたのです。
不寛容っだった私が寛容に変わってから、家庭内がうまく回るようになりました。
会話が飛び交うようになり、すてきな家族を持つことができて、私は幸せです。
これには、子供でも、一人の人間として尊重したことが良かったのです。
私が否定することをやめ、受入れるように変わったからです。
素直に「ありがとう」や「ごめんなさい」と言える関係になり、最高に幸せを感じるようになりました。
多くの人が寛容になって、良い社会にしましょう。
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