「ありがたい」って言葉、わたしはわりとよく使うようにしているのですね。
でも正直に言うと、感謝の気持ちを表す言葉、くらいのふわっとした理解で使っていました。深く考えたことなんて、一度もなかったです。
そんなとき、あるお坊さんの動画で「有難い」の本当の意味を解説されていて、思わず手が止まったのです。
そして後日、その話が頭の中で別の情報とつながって、なんとも言えない気づきになりました。
今回は、その二つがつながった瞬間のお話です。
「有難い」=有ること難し、だった
「ありがたい」を漢字で書くと、「有難い」。
これを分解すると「有ること難し」、つまり「存在することが難しい=めったにない」という意味なのですね。
感心しました。
よくあるようで、本当はめったにないことに遭遇していたんだなぁって。そういうことだったのか、と。
でも…その情報も頭の片隅に追いやっていたんです(笑)
「へえ、そうなんだ」で終わっていた。わたしはそういう人間です。いい話を聞いても、日常に戻ったらすぐ忘れる(笑)
それが正直なところです。
ある日、頭の中で二つがつながった
しばらく経ったある日、ふと別の情報と絡まって、一つの考えが頭の中に降りてきました。
その別の情報というのが、以前わたしが記事にした「この世は地獄である」という話です。
地獄がデフォルト。だからこそ、いいことが際立つ
仏教で言う、四苦八苦。
生きるのって楽じゃないよ、という話です。
生まれること・老いること・病むこと・死ぬこと。それだけじゃなく、愛する人と別れる苦しみ、嫌いな人と会い続ける苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみ…仏教はそれを正面から「苦しみがデフォルトですよ」と言い切るのですね。
最初にこの話を聞いたとき、暗い話だなぁと思いました。でもよく考えると、これってむしろ気が楽になる話なのですよね。
だって、この世がデフォルトで苦しいのなら、たまに起きるいいことが際立つじゃないですか。幸福感がマシマシになるというか。
そして、「有難い=めったにない」という語源と、この「地獄がデフォルト」という話が、頭の中でガチッとつながったのです。
この世が地獄だからこそ、有難いことだらけになる
「この世は地獄(いい意味で)」と捉えると、有難いことだらけになるじゃないか、って。
今日、自分の自由に行動できること。
何不自由なく食事にありつけること。
玄米と味噌汁、あとは少しのおかず。質素であろうと、それはごちそうなのです。むしろ質素であるほど、大地の恵みを感じて、ありがたく感じます。
キラキラした生活じゃなくても、雨風しのげる家があればありがたい。その場所をきれいに整えると、なお心地よくなります。
これ全部、「めったにないこと」なのですよね。
地獄がデフォルトなのだとしたら、ご飯が食べられることも、眠れることも、今日も誰かと言葉を交わせることも、全部「有難い」になるのです。
当たり前だと思っていたものが、当たり前じゃなくなる瞬間です。
感謝できない自分を責めなくていい
感謝日記をつけましょう、とか、毎日ありがとうを100回言いましょう、みたいな話じゃないのです(笑)
わたし自身、苦しかった時期は感謝なんてゼロでした。毎日しんどくて、不満と怒りと虚しさで頭がいっぱいで。有難いものを見る目が、完全に閉じていたと思います。
でも今思うと、そのしんどかった時期でさえ、ご飯は食べられていたし、眠れてはいたのですよね。
当時のわたしはそれを全部スルーしていた。「当たり前」にしていた。
だから、感謝できない自分を責める必要はないのです。ただ、「有難い=めったにない」という言葉の意味を、頭の片隅に置いておくだけでいい。
そのうちふとした瞬間に、あ、これ有難いな、って気づける日がくると思っています。
楽に生きるってどういうことだろう
まとめ
この世は、地獄。
だからこそ、有難いことに満ちあふれているのです。
それに気づけるかどうかは、あなた次第。
「有難い」の語源は「有ること難し=めったにない」。そして、この世はデフォルトで苦しいもの(四苦八苦)。この二つを合わせると、日常のなにげないことが全部「有難い」になります。
質素なごはん、雨風しのげる場所、今日も動ける体。全部、めったにないことなのです。
焦らず、自分のペースで。何かのヒントになれば嬉しいです。

