勇気を出して挑戦してみる!
食べるものに困ることがなく、
生命を脅かす危険がないこの便利な世の中で、
幸せを感じることが減ってしまったのはなぜなのでしょうか?
これまで成長を続けてきた社会が、さらに成長する期待を背負い、
それに応えるために、無理をしているからではないでしょうか。
時代の変化に相容れない状況にもかかわらず、
そのままの社会システムで挑もうとするには無理があり、
そのしわ寄せは、私たち労働者に及んでいるのです。
その影響が、長時間労働、過剰なストレスとなって、私たちの心身を蝕んでいます。
今回は、頑張って働いても将来の不安が拭えず、鬱になりかけた私の経験をお伝えします。
私は、これまで信じてきた会社に疑問を持つようになり、仕事を辞めました。
そして今、楽に生きられるようになりました。
仕事が辛いけど、辞める勇気がない人向けです。
何かの参考になれば嬉しいです。
将来への不安から鬱になりかけた私はアリでした
童話「アリとキリギリス」では、冬に備えてコツコツ働くアリと、
好きなことをして過ごすキリギリスを比較したお話です。
結果的に将来に備えてコツコツ働いたアリが称賛された内容ではありますが、
「ロボットのように働くことだけに生きたアリって幸せなの?」という疑問が残ります。
アリのように未来に備えた生き方が望ましいという価値観は、
勤勉さを美徳とする私たち日本人には受け入れやすいものでした。
私はアリのように、一生懸命働いてきました。
自分の時間を犠牲にしてまでも、会社に奉公したのです。
ある時、人事異動で上司が替わった途端、私はパワハラを受けるようになりました。
アリのように働いてきた私は、メンタルが落ちていく時でさえ、働き続けたのです。
そんな私は、ある時気づいてしまったのです。
人生の最も素晴らしい時間を会社に捧げてきたのに、
会社は私のことを本当にアリとしか見ていない。
私は、もっと自分の時間を大切にするべきなんだ。
キリギリスのように、人生を楽しむことも必要で、
会社を信じてアリのように働き続けても、会社は守ってはくれないのです。
将来への不安から鬱になりかけると楽しさを感じなくなる
アリのように勤勉に働いていた私は、上司からのパワハラと同僚からの攻撃で鬱のような状態になりました。
自分がやらなければと、頑張り続けたことにが弊害となり、
心に大きな痛手を負ってしまうのです。
このようになると、休みの日も仕事のことが頭の中を駆け巡ったり、
仕事で受けた衝撃を繰り返し再放送する状態に陥ります。
ここまでメンタルが落ちてしまうと、楽しいことをしていても、楽しく感じなくなってしまいます。
家族と大好きなケーキを食べていても、「なんとなく美味しいけど…」といった感じです。
家族で旅行に行ったときも、「あれっ、旅行ってもっと楽しかったはずなのに…」というふうな状態になるのです。
本当に何をやっていても、楽しさが感じられません。
頭のどこかに、仕事や職場で起きたショックな光景が残っているのです。
将来への不安から鬱になりかけた原因を摘んだ方がいい
私のストレスの原因は仕事の人間関係でした。
私の妻は、私が鬱だと思っていたようです。
仕事で苦しんでいる私を心配した妻は、「仕事を辞めてもいいよ」と言ってくれていました。
しかし、「仕事をしなければ家族を養っていくことができなくなる」という考えを
私は取り払うことがなかなかできなかったのです。
今の仕事を辞めると、生きていけなくなるという不安と恐怖があったためです。
それでも、自分でも仕事を辞めなければ本当におかしくなってしまうと思っていましたし、
この劣悪な環境から抜け出して、もっと楽に生きたいという思いは心の奥底にありました。
今の仕事を続けなければ生きていけないというマインドブロックを少しずつ自分なりに外す努力をしていきました。
凝り固まった「完璧主義」や「べき思考」を取り払いながら、
「セルフコンパッション」で自分を慰めたり、優しくしたり、
「楽観的」に考えることで、「なんとかなるもんだよ」と思えるように努力しました。
将来への不安から鬱になりかけたけど、未来は見えないから考えても仕方ない
私たちは、親や学校教育で、
「良い進学をすれば良い就職があり、良い就職を得れば人生そのものが幸せである」
という価値観を植え付けられました。
見通せる未来を目標に頑張ってきたのです。
今の社会から得られる情報から鑑みても、
今の時代でいくら頑張ったとしても、目標としていたものよりも下に到達することしかできません。
少子高齢化が進んだ社会は、社会保障費がかさみ、
受けることができる社会保障が減少する未来を創造するのは容易いです。
私たちが捧げる大切な時間や受け続けるストレスや苦痛を考えると、
リスクを取った方が幸せになる確率が上がるかもしれないと考えました。
想定した未来よりも低いところに着地することが確実視できる人生よりも、
着地点が見えない人生を選ぶ状況にいることに気づいたのです。
最悪を想定して、可能な限り生活レベルを下げ、私の収入がなくても、妻の収入で生活できるので、
それほど心配しなくても良かったのです。
ただ、変化することが怖かっただけなのです。
まとめ:将来への不安から鬱になりかけた私が前を向いて生きるようになった理由
現代は、食べ物に困ることがなく、命の危険がなくなった便利な時代です。
この素晴らしい時代に生きていても、社会構造上の問題によって、昔よりも幸せを感じることが少なくなっています。
国は、労働基準法を整備して、労働者に優しい社会を目指していますが。
実態は、長時間労働や、パワハラで精神的苦痛を負い、メンタルがやんでしまう人も増えています。
私も仕事でメンタルがおかしくなりかけました。
仕事を続けることをライフプランに組み込んでいたので、仕事を辞める選択肢を持つことは非常に難しかったのです。
しかし、広範囲に現状とこれからの社会を見つめ直してみると、苦しみながら仕事を続ける理由はなくなりました。
今の時代でいくら頑張ったとしても、目標としていたものよりも下に到達することしかできません。
少子高齢化が進んだ社会は、社会保障費がかさみ、
受けることができる社会保障が減少する未来を創造するのは容易いです。
私たちが捧げる大切な時間や受け続けるストレスや苦痛を考えると、
リスクを取った方が幸せになる確率が上がるかもしれないと考えました。
想定した未来よりも低いところに着地することが確実視できる人生よりも、
着地点が見えない人生を選ぶ状況にいることに気づいたのです。
一度きりの人生を充実させるには、少しのリスクを取ることだったのです。
あとは、思考を前に向かせることでした。
そうすることで、楽しく、幸せに感じるようになりました。
平和な日本では餓死することはありません。
しかし、ブラックな職場に殺される可能性は大いにあるのです。
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