ここ最近、普段会えない遠くに住む家族や知人との会食が続きました。
家族はもちろんのこと、気の知れた人たちとは無駄なく使いなどはなく、会話は盛り上がり、とても楽しい時間を過ごすことができて満足感は高いものでした。
しかし、その後に自分の中で、得体の知り得ない心の痛みが発生していたのです。
冷静に内観してみると、「比較的大きな出費による痛み」であることがわかりました。
普通の人からしてみれば、そんなの大したことではないと思うでしょうが、わたしは、ゆるやかなお金の流れの中でゆるーく生活しているので、昔の自分とは違う感覚になっていたのです。
出費の痛みを感じていることがわかって、多方向から考えを巡らせてみましたので、それらについて綴っていこうと思います。
頭の中の二面性
何かが心がざわざわさせていると思ったら、出費に対する痛みだったのですが、通常であれば支払いが、現金の場合とクレジットカードでは痛みが異なるのです。
現金のほうが痛みが大きいと言われています。
しかし、わたしの場合、現金及びクレジットカード支払いでの感覚は同じであって、どちらであっても、感じる痛みの強さは一緒です。
もちろん、痛みを感じても、必要な出費だということは理解しています。
わたしの頭の中では二面性を持っているのです。
- 大きめの出費で心が痛い
- 必要な出費だとは理解している
この二面性を鑑みた結果、この痛みは仕方のないものと受け入れることにしました。
「心は痛いけど、仕方のないこと」と思えた途端、すーっと快い潔さが自分のなかで湧き上がったのです。
クリエイティブになる
心に痛みがあるとき、それを振り払おうとすると余計に痛みが増しますが、反対に受け入れてしまえば、それほど苦しくはありません。
心を痛めているときって感性が増すのです。
クリエイティビティになります。
創作意欲がでてきたり、多くの気付きを得たりもするのです。
だから、心が痛いときはクリエイティブな自分になれるということ。
様々な思考が自分のなかに降りてきます。
そこには他人に対する嫉妬、妬みなどのネガティブな感情などなく、ただただ自分の中の状態にだけ意識が向かいます。
心に痛みがあったとしても、それはそれで悪いものじゃないんだ。