昨日、一人で暮らす息子が新社会人になるのに伴い、引っ越しをするので、手伝いをしてきました。
息子が社会人か、と思うと、 あっという間だったなあ、と思いながら、荷造りを手伝い始めたのですが…
ゴミの引っ越し
わたしは、引越し業者の来る1時間前に息子の部屋に到着しましたが、まだ終わってないではないか‼️
急いで、作業に取り掛かりました。
その荷造りをしていて、なんか虚しくなってきたのです。
段ボールに詰めているものをみると、使う予定のないものばかりで、ゴミといっていいものまで詰めているのですよ。
いわゆるゴミも一緒に引っ越しさせている状態です。
とても、むなしいです。
なぜ、使わないものがこれほどまでにあるのか…
以前のわたしは、ストレスもあって、少しでも便利そうとか、欲しいと感じたら買っていましたので、すぐモノを買う人の気持ちはかわります。
それが今、段ボールの中に一生懸命詰め込んでいるのです。。
環境にもよろしくないだろうし、お金も無駄だし、引っ越しの手間にもなります。
モノが多くあるだけで、ストレスになっていることに気づかないのです。
自分の引っ越しを繰り返していく度に多くのモノを捨ててきました。
だけど、住む場所が変わるたびに、モノを買います。
住む場所に合う棚であったり、入れ物であったり…
最近の自分は、本当に必要なものしか買わなくなってきました(妻は綺麗好きなので、少し買いますが…)。
足るを知る、ってやつだと思います。
以前の自分を責める気にはなれないですけど、残念な気持ちはどうしても残ります。
鹿と衝突
それと、もっとショックなことが起きました。
引っ越しを終わらせての帰り道です。
車であと少しで到着というところを走っていたら、鹿にぶつかりました。
北海道はエゾシカが多くて、道路を横切る姿もよく見ます。 だから気をつけてはいたんですけど、複数の鹿が突然、目の前に飛び出してきて、避けられませんでした。
フロントガラスにヒビが入って、ボンネットが歪んで、バンパーとヘッドライトが割れました。
幸い、自走には問題がなかったので良かったのですが…
家に着いて、スマホの灯りで車を見てみると、バンパーとヘッドライトの隙間に、薄い茶色の剛毛が挟まっていました。
それを見たとき、なんとも言えない気持ちになりました。
鹿も、わざと飛び出してきたわけじゃないですし。 切ないです。
壊してごめん…
そして、壊れたままの車を見ていると、他人からどんな目で見られるんだろう、と想像してしまいます。
「あの車、どうしたんだろう」って思われるのかなとか、なんか恥ずかしいなとか。
いわゆる、他人の目を気にしてしまっているのです。
昔は、他人の目を気にして生きていましたが、今では違います。
障害を負った方を目にしたとき、わたしは「他人の目なんか気にしなくていい、頑張って」って思っているのですが、
なのに、いざ自分のこととなると、全然できなくて、残念…
しかも、誰かに何か言われたわけでもなんでもないです。 ぜんぶ、自分で創造して、自分で勝手に落ち込んでいます。
止めようと思っても、止められなかったです。
もっと堂々と生きたいんですけど、 なかなかできないのが、正直なところです。
心が弱ったときは吐き出す
だから、今回のような出来事のときに練習させてもらいますね。
ショックなことが重なって、心が疲弊しています。
でも以前の自分とちがって、今は吐き出すチャンスと思えるようになりました。
クリエイティブな人は心が病みやすいというんですけど、感じる力が強いぶん、苦しいんだと思います。 でも感じるから、気づけることもありますよね。
頭と心は違う
起きたことは変えられないと 頭ではわかっています。
でも、心の震えはおさまらないです。
だから今日は、頭と心は別物だということを、そのまま受け入れることにしました。
いつもと違う車の姿を見て切ないと感じる自分を受け入れます。 車が使えない不便さを受け入れます。 修理代がいくらになるかわからない不安を受け入れます。
強がって生きてみる
以前だったら、ネガティブに押しつぶされていたと思います。
でも今の自分は、少しだけ強がれるようになったのかもしれないです。
これはなるべくしてなったことだと、どこかで思っています。 きっと将来の自分に活きてくると思います。
今はショックで、何をしていいかわからないです。 今できること以外、思いつかないです。
それでいいと思っています。
無理やり何かをやろうとするよりも、今のうちに感じて、気づいて、文字に残しておきます。
今のこの気持ちは、時間とともになくなっていきます。 なくなる前に、書いておきました。

