わたしは、自分以外の人たちの多くが自分よりも人生がうまくいっていて、幸せなんだろうなぁと思っていました。
みんな幸せそうに見えて、じつはそうでもないのかもしれない

しかし、いろいろな人の話を聞いていくと、そうではないような感じで、おそらくわたしとおなじ様に感じている人がほとんどなのではと思うようになりました。
要は、大勢の人は、今の自分は幸せじゃないので、今後もっと幸せになりたいと思っているということなのだろう。
総じて幸せを感じていないとしても、たまにはほんの一瞬だけど、ポジティブな感情に浸れるときだってあるのですが、なんせ、多くの時間は気分爽快ではないのですからね。
成功者は、多くの時間、幸せを感じているのだろうという想像をしてしまいがちですが、それもちがっているのかもしれないと考えています。
要は、多くの人が、自分と同じで手放しで幸せを感じているのではないと仮定すると、腑に落ちるので、おそらくそうなのだろうと考えるようにしています。
少しでも楽に幸せを感じたいから、都合よく考えてみた
さて、そのような状況の中でも、少しでも楽に幸せを感じたいのが本音です。
じっとしていても何もないし、動き回ってもトラブルがあるしで、なかなか幸せにはありつけません。
じゃ、どうする?ってなるんですが、都合よく考えてみたらどうかなぁと思い立ちました。
結論:全ては自分が原因だった
結論を先に言ってしまうと…
- 全ては自分が原因ということ
- 受け取り方次第でどうにでも変わる
それは、事実に対して、自分が反応することで、自分に影響を及ぼしている。
自分の外側で起きている事象にたいして、自分自身で苦しめているということ。
割り込みされてクラクションを鳴らしていた頃のわたし

例えば、車を運転していて、割り込みされたとします。
すぐに怒りの感情が湧いてきて、クラクションを鳴らして、怒りをぶつけます。
これ、以前のわたし。
でも、今は、割り込んだなぁ…、仕方ないねぇ…とイライラしませんね。
割り込まれたという自分の外側の事象に対して、反応するかしないか。
反応して、怒りをぶつけたところで、得したことなんて、一度もありませんでしたから、反応しない方が平和に過ごせるということです。
なので、外側の事象に対して、自分が反応するように刷り込まれてしまっていることに気がつくことが重要です。
だって、反応してもなにもいいことないのだから。
不幸の原因のひとつは、自分だったということです。
この「相手にしない」という感覚については、こちらの記事でも書いています。
あわせて読みたい
.jpeg)
「幸せを感じられない」こと自体が、じつは幸せだった
反対に、幸せを感じるようにするには、どうしたらいいかも思考してみました。
実は、幸せを感じることができないということ自体が幸せだったということなのです。
何を言っているかわかりませんよね?
この幸せではないというのは、自分が勝手に決めていることであり、捉え方を変えると幸せだったりするのです。
いいことが起きていないから不幸せだという感覚だと、幸せを感じることが少ないでしょうね。
今、生きていられることにフォーカスする

今、生きていられることにフォーカスすることで幸せを感じることができます。
言ってしまえば、期待値を下げる感じになるのかもしれませんね。
生きてさえいれば、自由に動くことができます。
自由に思考することができます。
妄想だって自由にできます。
要は、頭の中で今の自分の状況を思い描くのです。
「今日も生きていて、自由に動けるし、この現実世界を楽しむことができる」という感じで、感謝の気持ちさえ抱くことができます。
幸せじゃないと思っていたのに、見方を変えれば、本当は幸せだったんだ‼️と思えるのです。
感謝の気持ちについては、こちらの記事でも書いています。
あわせて読みたい

まとめ:幸せは降ってこない。自分で創造して感じるもの
幸せの定義を見直すことで、今よりも前を向いて生きていくことができます。
もちろん、時には苦しいと感じたりもするでしょう。
それでも、すぐに自分を取り戻し、苦しいのは自分自身がそうさせているんだと考え直すことができます。
幸せが魔法のように降ってくることなんてありません。
自分で創造し感じることです。
わたしは、普段から幸せなんだと感じることが幸せです。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

最高の状態 無




